つきあうなら

「新しい」なんてもういい

「新しい」って何だろうか。本日は今一度考え直す。

バンドをしていたときによくよく直面した。

じつはロックバンドもチームで何かを考えたりするのだ。メンバー、事務所、スタッフ、けっこうな人数で施策を編んだりしていく。

そこで「新しいことをやらないと!」と言われることが多かった。

僕はこれがなかなかに嫌いだった。よく「新しいことはもういい」と言っていた。

みんなから僕が「新しいことをやるっぽい人間」に見えているかどうかはわからない。

だけど僕自身は「新しいことをやる」みたいな考え方があまり好きじゃなかった。

「新しいこと」が嫌いなんじゃない。
そういう考え方、そういう進め方、脅かし的なものにアレルギーがあるのだ。

なんていうか、古くてもいいものはいいし、似合うものは似合うし、キマるものはキマる。新しいかどうかというのは結果であって、「新しくないから×」なんて進め方はパフォーマンス重視で不安になる。

いつからか[古いもの<新しいもの]という構図が出来上がった。

だけど「新しければ新鮮か?」と問われるとそうでもない。古いものを新しい場所に配置するだけで、ものすごく新鮮に響くときがある。
この場合、それが古いのか新しいのかは判断がつかない。

「新しければ是で古ければ悪」という凝り固まった思想で、物事を語られるのにムカついていたのかもしれない。

「新しいか否か」で思考するとロクなことにならない。奇をてらったものは質が低くなりがちだ。

じつは少し戒めで書いている。

なんていうか、気を抜くと自分でも「新しく!」という方向に流れてしまいそうになるのだ。嫌いなはずの「新し依存」が発症してしまいそうになる。

思ったのは「新しいこと」というのはある意味ラクだということだ。考えなくていいし、「新しいことをしてる自分」に酔っ払うこともできる。

Tobariをやっていると初めて味わうシーンが多いし、新しく映ることも多い。

だけど「新しいか新しくないか」なんかで決めないように、と戒めたくなった。

6/24にライブをやる。
僕と篠山くんというシンガー二人でやるショーだ。

交互に20分ずつやることにした。またまたフクモト先生のフラッシュアイディアだ。

「新しい」と思う。

だけどこれの素晴らしいところは新しさよりも、「面白そう」だし、「20分の公演が2本ずつ観れること」だし、「なんだかワクワクすること」だ。

新しいことをやろう!なんて邪心めいた進め方をしないようにしていたい。心がふつふつと沸くような方向に進んでいきたい。

戒めで書いている。



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