見出し画像

創作話から『サピエンス全史』への飛躍

昨晩みっちり30分、
「そのお話をして」のリクエストに応えて、
ももたろう、かぐや姫、蝶になる話をする。

思いのほか楽しいようで、
物語沿った小道具、衣装まで身に着けて、
お話の世界に全力で没入している。
最後は、聞きながら、こちらも話しながら
二人して寝落ち。

難しいと思っていた滝、沢に登れたことよりも、
仕事で金額の大きい受注をしてよりも、
比べるべくもない幸福感。
今この時も幸せの余韻なのか、身体が軽い。


ただただ、面白くなるように、
ほんの少し物語の中に、子どもの名前と
子ども自身を出演させるだけで、
こんなに喜んでもらえるとは。

自分の成果でもなく、
自分の知っている知識の事でもない話で、
こんなに楽しく、うれしく幸せになれるのか。

ただ話せたこと、聞いてもらったことが
満足だったのか?
違う。
喜んでくれたから?
それもあるけどそれだけじゃない。

たぶん、『サピエンス全史』に出てきた
「虚構」を共有できたから。
創作話という虚構。ありもしない世界のことを
自分の子供と共有できたから。

?万年前の遺伝子レベルに響いた体験だったのかも
しれない。だから、こんなに嬉しいのかもしれない。
感情とか、理性のもっともっと深い奥の奥。
根っこも根っこ。
使い古された言葉でいえば「太古の記憶」に
繋がった体験だから。

記録になんか絶対に残っていないけれど、
かならず大昔のこの地球のどこから、
父親か子どもにお話をしながら、
一緒に寝落ちした夜があったはず。
その過去の営みと同じことが自分にも訪れた幸福。

人と同じは嫌だ、なんて思ってきたけど、
「サピエンス」と同じには、無意識の遺伝子、
魂レベルで興奮、高揚している。

…などと、また朝っぱらから書き連ね、
かみさんに話そうなものなら、
「よくそんなに色々思いつくね。。。
 寝落ちした後のお世話は大変だったよ(・.・;)」
と、お言葉を頂戴するはず。


自分が子どものまま大人になったのか、
はたまた子どもが大人になってきたのか。


調子に乗って飽きられないように、
求められるうちはお話を続けていけたらな、と思う。
サピエンスの末裔として。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?