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「究極の観光旅行」を見たら、違和感が消えません。

山車のように引っ張って山頂へ。

詳細を見ていないし、
知ろうとしてない人間の
思いつきとは重々承知。

でも、あの絵面はないでしょ。
が頭の中で離れない。

居ても立っても居られず、
『狼は帰らず 
  アルピニスト森田勝の生と死』佐瀬稔
を手に取っていました。

昔読んだし、
カミさんも好きで本棚にもあったのに、
ハードカバー版を図書館で
借りないと気が済まないくらい、
あと先考えられず読みたくなりました。

金が動く、雇用が生める人なら
何やってもOKなのか?
あれを挑戦と捉えて、素晴らしい取り組み
だとする美談にしていいのか?

やろう、と決意した本人の
問題なのか?
それを報じた人間の問題なのか?
はたまた受け取っている私の
問題なのか?

見なければいい。
知らないければいい。
黙っておけばいい。

それも分かる。分かるけど、
見てしまった、知ってしまった以上、
抱えた違和感は放っておけない。

神輿が山を登ろうが、降りようが
ほとんどの人には関係ない。
私の人生にだって関係なかったはず。

でも、目に入ってきた時点で、
交わってしまった。
そして沸き起こった、否定したい衝動。

群がるな、祭り上げるな。

本人の「やりたい」は否定しない。
どうぞ、好きなように。
周りの「支えたい、力になりたい」も
否定しない。
良いじゃないですか。どうぞ好きなだけ。

ただ、さもそれが崇高なこと、
美談めいたことのように語るのを
やめて欲しいだけ。

山登りという、ひどく無為徒労の世界

『狼は帰らず』

これだ!と思いました。
今の私の心のうちを表現したのは。

意味なんてない世界に、
無理やり良い事のように仕立てる違和感。
良い事でないとやってはいけない、
と断じられるような違和感。

僻み、妬み、負け犬の遠吠え。
なんと言われても、違和感は拭えない。
末端も末端ながら、少しでも
山に心を奪われた人間として。

あれは登山じゃない。
成瀬陽一氏が言った、
「究極の観光旅行」そのもの。


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