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読書の始まりについて

思考において始原的であるもの、それは不法侵入であり、暴力であり、それはまたであって、何ものも愛知〔哲学〕を仮定せず、一切は嫌知から出発するのだ。

ジル・ドゥルーズ『差異と反復(上)』河出文庫 p372

はじめに

先日、企画し始めた勉強会で課題本を選ぶことになった。その時、ふと考えた。私たちはどのようにして本を選んでいるのだろうか。そもそも、本を選ぶ能力とは何なのか。この疑問が、読書の始まりについて深く考えるきっかけとなった。

本を選ぶということ

本を選ぶという行為は、実は非常に複雑である。私たちは、まだ読んでいない本について「面白い」とか「勉強になりそう」といった判断をする。しかし、これはどういうことだろうか。
実際には、私たちは本の内容そのものではなく、タイトル、著者、表紙、帯の言葉、書評などの外的な情報を基に判断している。つまり、本を選ぶ能力とは、これらの限られた情報から本の価値を推測する能力と言えるかもしれない。
しかし、この能力はどのようにして身につくのだろうか。それは、おそらく読書経験の積み重ねによるものである。読書を重ねることで、自分の興味や好みが明確になり、それに合致する本を選ぶ力が養われていく。ここで重要なのは、この読書経験の始まりが必ずしも自発的なものではないという点だ。

読書の始まり

多くの人にとって、読書の始まりは何らかの「強制」によるものである。学校での課題図書や、親や教師に勧められた本など、ある種の「権力(強制するもの)」によって読書が始まることが少なくない。この「権力」には、教育システム、メディア、周囲の人々の影響力なども含まれる。
例えば、学校教育における必読書や推薦図書のリストは、一種の権力行使と見ることができる。(勉強とは強いられるものである。)また、ベストセラーリストや書評などのメディアの影響力も、私たちの本の選択に大きな影響を与えている。さらに、友人や家族からの推薦も、ある種の「権力(強制するもの)」と捉えることができるだろう。
このように考えると、本を選ぶ(選べる)ということは、何かしらの力(権力的なもの)のリレーによってしか起こらないのではないかと思えてくる。つまり、完全に自発的な読書選択が可能なのかどうかは、議論の余地があるのだ。

権力と自発性の間で

しかし、この「強制」や「権力」は必ずしも否定的なものではない。むしろ、これらが新たな世界への扉を開く可能性がある。例えば、学校で課された本がきっかけとなって、その分野に興味を持ち、自発的な探求につながることがある。また、メディアの影響で手に取った本が、予想外の知的刺激をもたらすこともある。
つまり、読書の始まりにおける「強制」や「権力」は、自発的な読書習慣を形成するための足場となり得るのだ。ここで重要なのは、この「強制」をどのように自分のものにしていくかという過程である。

本を選ぶ能力の発達

本を選ぶ能力の発達は、単純な学習過程ではなく、読書そのものの発生と密接に関わる複雑な現象として捉えられる。この過程は、外部からの「強制」や「権力(強制するもの)」との相互作用の中で進行するが、それは単なる受動的な反応ではない。
読書の始まりにおける「強制」や「権力(強制するもの)」の役割を再考する必要がある。これらは単に外部から課せられる制約ではなく、読書を喚起する触媒として機能する可能性を持つ。
例えば、学校で課される本や、社会的に重要とされる本との出会いは、単なる義務的な読書ではなく、読書の境界拡張の契機となり得る。これらの本は、読者の既存の認識枠組みでは十分に捉えきれない要素を含んでおり、そのギャップこそが新たな読書を促す「強制力」となるのだ。
本を選ぶ能力の発達は、このような「強制力」との遭遇と、それに対する応答の繰り返しの中で進んでいく。初めは外部からの「強制」に従うことから始まるが、徐々にその「強制」を自らの読書の糧として取り込んでいく過程で、より主体的な選書能力が養われていくのである。
このように、本を選ぶ能力の発達は、単なるスキルの向上ではなく、読書そのものの変容と創造の過程として理解できる。「強制」や「権力(強制するもの)」は、この過程における触媒として機能し、新たな読書の次元を開く可能性を秘めているのだ。
本を選ぶ能力の発達は、「強制」や「権力(強制するもの)」との創造的な対話の過程であり、それを通じて読書そのものが生成され、変容していく動的なプロセスだと言える。この視点は、読書の本質、そして個人の知的成長における社会的・文化的要因の役割について、より深い洞察を提供してくれる。

おわりに:結局どうやって本を選べばいいのか

読書の始まりを考察することで、私たちは読書という行為の複雑さと奥深さを再認識することができる。それは単に本を開いて文字を追うという単純な行為ではなく、社会的、文化的、個人的な要素が複雑に絡み合った現象なのだ。強制や偶然、そして様々な形の「権力(強制するもの)」が読書の始まりに関与していることを認識することは重要である。しかし、それらの要因が読書体験の価値を減じるわけではない。むしろ、それらの要因を通じて、私たちは新たな世界や思想に出会い、自己を拡張する機会を得ているのかもしれない。
この考察を踏まえると、一つの問いが浮かぶ。結局のところ、私たちはどのように本を選べばよいのだろうか。この問いに対する単一の正解は存在しないが、以下のようなアプローチが有効だと考えられる。

  1. 多様な「強制」を積極的に受け入れる
    学校の課題図書、友人の推薦、メディアの書評など、様々な外部からの「強制」を、新たな発見の機会として捉える。

  2. 批判的思考を養う
    本を選ぶ際、タイトルや表紙、著者名だけでなく、その本が扱うテーマや問題意識にも注目し、自己の興味や価値観を常に問い直す。

  3. 読書の幅を広げる
    自分の好みや専門分野にとどまらず、意識的に異なるジャンルや視点の本を選ぶ。

  4. 読後の振り返りを大切にする
    読了後、その本から何を得たか、どのような影響を受けたかを振り返り、次の本を選ぶ際の判断力を養う。

  5. 直感を信じる
    時には、理由がはっきりしなくても惹かれる本がある。そういった直感的な選択も大切にする。

このように、本を選ぶ過程は、外部からの影響と自己の判断力が絶えず交錯する、動的で創造的なプロセスだと言える。完璧な選書など存在しないが、それぞれの選択が新たな世界への扉を開く可能性を秘めているのだ。
最終的に、読書の始まりがどのようなものであれ、その後の読書体験をどのように展開させるかは個人に委ねられている。強制や権力的な影響をきっかけに始まった読書が、やがて自発的で豊かな知的探求へと発展していく可能性は常に開かれている。
あなたの読書の始まりは、どのようなものだったか?
そして、これからどのような読書体験を積み重ねていきたいか?
さらに、あなた自身はどのように本を選んでいるだろうか?
この問いかけが、新たな読書の始まり、そして本の選び方の再考につながることを願っている。


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