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シティズンシップとはみんなのもの

私にとってのシティズンシップ とは、社会という偶像に対して帰属意識を持つことであると考えている。社会とは、自らが認識することのできる明示的かつ暗黙的なものも含まれたルールを持つものである。人は、このルールを持つものを偶像として捉え、帰属意識を持つ。ここでの帰属意識とは、自分が社会に所属し従うこと、社会が自分に所属し従うことを意味する。つまり、シティズンシップとは、社会という目に見えないものが放つルールに従い、その社会のルールを帰ることのできる権利を持っている状態であると考えている。
以上が私が考えるシティズンシップの抽象的な概念である。次に、現在の私を取り囲むシティズンシップと私が理想とするシティズンシップについて述べる。
シティズンシップは、自分を取り巻く社会に依存すると考えている。そのため、現在の私を取り囲むシティズンシップとは、社会に対する帰属意識であり、その社会とは、国・自治体・学校・職場・(家族?)である。より詳細に見ればもっとあるかもしれないが、大きいものとして以上の五つである。一つ一つ自身の考えを述べると、国である日本の社会は、帰属意識が強すぎると考えている。帰属意識の強さ弱さでいくと、明示的なものよりも暗黙的な要素が強い。一方で、明示的なもの、例えば日本国憲法や法律などに柔軟性がないことは問題である。自治体に関しては、国と重なる部分が多々あるため、あってないようなものと考えている。学校・職場に関しては、社会の人間味が強いため千差万別である。家族に関しては、帰属意識のある家庭もあればない家庭もあるのではないか。
私は、現状のシティズンシップ に影響を与える社会のあり方に対して二つの問題意識を持っている。それは、社会に地球全体が含まれているという意識を持ちにくいことと帰属意識による個人に与える影響が大きすぎることである。地球には78億人の実体が存在することは事実である。それを無視できてしまう社会システムには疑問を覚える。また、人の価値観は78億人分存在する。それを自分ではない誰かが作った社会システムに帰属させられることは、健全ではないと考えている。
私が理想とするシティズンシップとは、
社会 ≤ 地球, 社会 = ∞、帰属意識 ≠ 義務, 帰属意識 = 権利 である。


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