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好奇と恐怖に突き動かされる私の旅

旅をしていると常に「ワクワクしている私」と「恐れている私」がいます。

この相反する感情は何によって、なぜ起こるのか考えてみました。旅を因数分解し、一つひとつの要素を取り出していきます。

すると、「旅とは物心のついた子ども」である、と気がつきました。
常に新しいもの、ことに出会い、驚かされ、恐怖を感じ、知的好奇心を揺さぶられる。そんな経験をするからです。

私がインドに訪れた時です。牛が毅然とした態度で、堂々と道路のド真ん中に居座っていました。人々は何食わぬ顔で、車を走らせ、道を歩き、談笑しながら牛を通り過ぎていきます。

意味がわかりませんでした。自分のこれまでの経験は度外視され、銅像のように居座り続ける牛の姿に圧倒されながらも、「何でだろう」と、頭の中がクエスチョンマークで満たされます。

もともと旅に出かける際、基本的に下調べは必要最低限しかしません。現代ではGoogle先生がおり、なんでも調べられる便利な世の中ですが、人との、現地の人とのコミュニケーションを大切にしているからです。

そこで、聞いてみました。何で牛がそこら中の道にたくさんいるのかと。
そうすると、「ヒンドゥー教では牛を神聖なものとして捉えている。だから手を出さないんだよ」と教えてもらいました。

そうか宗教か。宗教に対して、これまで意識を持ったことがなかった私に新しい感覚が芽生えます。何を信じていいのか、明確なものがない世の中に住んでいる私にとって、宗教は一つの指針であると理解できました。
ああ、そうか、こんな世界もあるんだな、と妙に納得し、知見を広げていきます。

列車に関しても同じです。私が乗った列車は15時間ほど遅延しました。インドでは日常茶飯事なようです。

意味がわかりませんでした。この世界には「オンタイム」という意味の言葉なんて絶対に存在しないのではないかとまで考えるほどです。日本であれば怒り狂っているかもしれません。しかし、これが当たり前になっているのであれば何ら問題はなく、ありままの日常を過ごしているだけなのです。

これらの経験を通じて新しい価値観や感覚を知り、視野が大きくなったことは間違いありません。そして、私のワクワクセンサーは、常に新しい物事を体感することによって、その反応が大きくなっていきます。

すみません。冒頭に申し上げた「物心がついた子ども」を置き去りにしていました。私が旅で得た感覚と、まだ何もわからない、全てが初体験の時期の子どもの感覚は同じです。「赤信号を渡ってはいけない」という新しい事実に触れ、「なんでだろう」という疑問が湧いてくる。「車が通って危ないから」という理由を知り、一歩一歩、成長していく。毎日がクエスチョンマークとの出会いであり、知的好奇心を刺激されながら、日常を形成しています。

毎日、旅するように、意味がわからない出来事に出会い、そういうものなんだ、と自分に定着させていきます。


好奇心を刺激され、ワクワクしている自分とは対照的に、旅を恐れている自分がいるのはなぜなのでしょうか。

旅をしていると、これまでの常識、固定概念が一気に破壊され、全く新しい価値観が眼前に容赦なく現れ、現実を突きつけます。その世界の現実を生きるためには、無知がいかに恐ろしいものかを痛感させられます。

知的好奇心の裏には、この世界をどう生きていかなければならないのか、「人間の生きる本能」が隠れています。ここでの振る舞いや、態度、行動を誤れば、地域によっては犯罪になってしまうかもしれない。人を傷つけてしまうかもしれない。そんな感情が備わっているのだと思います。

ところ変わって、私がフィリピンにいた頃です。
フィリピンで語学留学をしていたのですが、フィリピンにはLGBTの先生が多数います。LGBTに関して、何の偏見も嫌悪もありませんでしたが、非常に仲良くなったゲイの先生に「日曜日にチャーチに行かないの」と聞いてしまいました。

それに対して「同性愛者はキリスト教では認められてないんだよ」との返答が。聞かれたくなかったであろう領域に、躊躇いなく踏み込んでしまった罪悪感と、自分の無知を大いに恥じた瞬間です。関係が悪化したということはありませんが、何とも心にわだかまりが残った経験です。

旅をしていると、無意識でなくとも人を傷つけてしまうかもしれない。そんな恐怖が襲います。

子どもにおいても同じです。先に例で見た、赤信号を守らなかったら、死んでしまうかもしれない。学校でも、どこでも、ルールを守らなかったら、生きずらさを感じてしまうかもしれない。私の目にはそんな恐怖心を持ちながら、その世界を生きているように見えます。

ワクワクと恐怖心。相反する感情を持ち合わせている旅に、私は心動かされています。旅に出るとは「非日常」を体験し、「日常」から一時的に目を背けるのではなく、世界中の「日常」を感じるものだと思います。だからこそ、恐怖が入っていなければ、成り立たない。ワクワクだけだと、日常を一時的に離れた「娯楽」としての認識しかできなくなります。

世界中の「日常」を見つけることこそが、私の旅です。

これから先もずっと、ワクワクと恐怖を求めて、旅を続けることでしょう。
それが私の生きがいです

最後までお読みいただきありがとうございました。

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