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皆さんこんにちは。能力再生相談所、内匠です。

どうも自分自身、怒りの感情がまだバーンと出る時が結構あって、まだまだだなと思う日々。そんなことで思い出したのがこのタイトル。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、山本周五郎の小説にあるものです。

山本周五郎の『ならぬ堪忍』を読んだのはもう30年ほど前のことで、そんなに繰り返し読んだわけじゃないのでうろ覚えのところはありますが、大体以下のような内容だったと思います。

時代設定は確か江戸時代。主人公が、何が原因だったかは思い出せないですが同僚か何かと諍いがあって果たしいをすることとなりました。それを主人公のおじだったか父親だったかが見とがめて、主人公に事情を問いただします。そして一通りその話を聞いた後にこんなことを述べます。

「なるほど、そんなに許せないような事態があると言いながら、一旦家に帰って支度するというのはおかしな話だ。もし本当にお前が言うほど堪忍がならなないことであればその場ですぐ決着をつけるべきことだ。それを一旦家に帰って支度せねばならないというのはしょせんその程度のことなのだ。つまり、ならぬ堪忍なんてものはないのだ」

というようなことを言って主人公を諫めたのでした。こうやってうろ覚えで書きだすと、ちょっと結論が強引な感じもしますが、まあ言いたいのは、結局のところ腹が立つ、怒りの感情なんてものは本来取るに足らないことでしかないのに、それを自らが大事にしているに過ぎない、ということなんだろうと解釈しています。

実際、怒りの感情が湧いた後に思うのは、なんでこんなことで腹を立ててしまうのか、ということが結構多いわけです。

とは言え、いくらキレイごとを言われてもその感情が起きるのは事実のなわけで、それはそれでいったん受け入れないとだめなんだろうなと最近は思います。その上で、今後どうやったら「その程度のこと」と思えるようになるのかを考えていく必要があるんだろうと思います。そしてその過程で自分の許容範囲が広がり、例えていうなら今まではレベル1で腹が立っていたのがレベル2でも腹が立つことはない、みたいに事態を受け入れる容器を大きくしていくしかないんだろうな、心の底から「取るに足らないと思う」ようになれば、例えばアンガーマネジメントなんてキレイごとだ、と思うことが少なくなるんじゃないかと思ったりします。

今日は自分への反省でした。

ご一読、ありがとうございました。

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