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Diary#1 寄り道、良し道。

最近、「習慣にしていることはあるか」という話をすることがあって、そういえば最近はめっきりなくなったなぁとぼんやり思った。ちょっと前まで毎日のように書いていたnoteも、どんどん書く頻度が少なくなっていった。(1年間毎日更新するって言ったけど、、、)

別に毎日書くなんて無理に強制力持たせて書く必要もないけれど、継続的に書き続けてnoteを習慣だと呼べるくらいには何かを書いていたいなと思って、ケニアにいたときやっていたようにnoteのネタ帳をまた書き出すことにした。いつでも、何かを思いついたときに書けるように何を書くかを軽くスマホのメモに書いている。今日は、今住み込みで働いている農園で作業をしているときに何気なく思いついた内容をただ、書く。なんとなく、こうやって文字を打つ時間は自分にとって必要な気がしたから。

僕は今、大学4年生の後期で卒論を書いている。テーマはアフリカと投資。どうにも政策だとか、協定だとか、解像度の粗い内容をひたすら堀下げていっているような気がしてしまって、納得感はあまりないままで書き続けている。楽しいことには楽しいけれど、好奇心の向かう先がいつも机上にはなかった僕にとっては、関心事の起こっている現場に行けないことは辛い。そもそも、一応僕の専攻は法律なのだけれど、法律の現場ってどこにあるのだろう。法廷?

援助の現場に興味があるからカンボジアに行ったし、ケニアにも行った。それと同じように、対象者が明確で、どこに行けばいいかはっきりしていればいいのだけれど、どうも法律というものはどこに行けばいいのかはっきりしない気がしている。正直、フィールドワークのできる文化人類学とかを専攻していれば良かったかなとうっすら思う時がある。

この違和感は留学が終わってトルコに帰ってきた時からずっと抱き続けていた。青年海外協力隊の面接を終えて、久しぶりのゼミに参加した時、なんとなくそれまでには抱いたことのなかった違和感を覚えた。しっくりこない、といえばいいのか、馴染まないといえばいいのか、やる気が前ほど出ないといえばいいのか、それがなんだったかは、うまく言葉に表せないけれど。

そしてそれは、今も続いている。

きっとこれは、自分の興味関心が明確になってきて、自分のゼミで勉強していることは、どうやら自分の目指したい道とか、将来像みたいなものに合致しないとわかってしまったからなのだろうと思う。随分と打算的になってしまった。

僕は3年生から4年生の間、トルコに留学した。その時の留学した学部の名前は、International Trade, 国際貿易だ。元々トルコに留学したのは、開発援助と貿易のどちらに自分がより関心があるのか見分けるためでもあった。自分の関心が前者に傾いたことに疑いの余地などあるはずもなく、僕はトルコからJICAに書類を送り、面接のために早めに帰国を済ませたほどだった。

だから、僕には正直、もう全てどうでも良くなってしまったのかもしれない。国境で人工ホルモンが原因で輸入規制される牛肉も、それがなぜ規制されてしまうのか議論を辿ることも、航空機に国が補助金を出すことがルール違反になる根拠も。あれほど毎回楽しかったゼミの先生の授業も、ゼミも、前ほどわくわくした気持ちで参加できなくなった。一つそれまでの自分の知らなかった自分を知ると、それまでの自分が消えていってしまうような気持ちになった。

きっとこんなことは、これからも増えていくのだろうと思う。
どんどん歳を重ねて、こうやって大人になっていくのだろうと思う。

きっと人生ってタイミングだと思う。若い頃に出会うべき人、中年くらいになってから出会うべき人、年老いてから出会うべき人、場所。逆に、年老いてから出会うべきでない人や、若いうちに出会うべきでない人もいるかもしれない。

僕にとってゼミの先生は、若いうちに出会うべき人で、年老いてから出会うべき人ではなかった。僕の長い人生の他の時間のどれでもなく、20代のこの時期に会っておくべき人だった。

「それはどういうことなんですか、熊谷くん」
「ちょっとここ、自信がないので教えてもらってもいいですか、熊谷くん」

いつもいつも、こんなのわかって当たり前だと思うことを当たり前のように言うと、そんなことをいつも、いつも先生から聞かれた。

だけれど、いざ自分の言葉でそれを説明してみようとしても、なかなかうまく出てこないことが多かった。僕にとっての当たり前は、先生にとっても当たり前ではなくて、そしてそれをよくよく考えれば考えるほど、僕の当たり前は、先生の疑問に飲み込まれていった。

高校までの先生は教壇に立って僕たちを見おろす人だったけれど、先生の授業は教壇には誰もいなくて、みんなが生徒だった。代わる代わる教壇の前に立つ僕たちを、先生は俯きながら、時折考えすぎて冗談だろと思うほどの沈黙を挟みながら、よく先生は、「ここちょっとわからないので、教えて欲しいんですけれども」と言った。

先生って、そんなんでいいんだ。
わからないことは、わからないって言っていいんだ。

僕は、自分のわからないことを立場に関係なく受け入れる弱さみたいな強さを、謙虚さを、先生から教えてもらった。そしてそれは、自分が人生をかけて大切にしたいと思っていることの一つだ。

人生をかけて大切にしたいことを気づかせてくれた人に、自分が歳をとってから出会うには遅すぎるから、きっと先生にはあのときに出会っておくべきだった。もう先生のゼミを選んだ時の僕はいないかもしれないけれど、それでも、大切なことを教えてくれたことに今の僕は感謝している。すっかりゼミ旅行やら泊まりやらまでする仲になってしまった、同じゼミの友達と出会えたことにも。

もうきっと、僕は昔みたいに熱を持って心から楽しいとゼミの時間を思うことはできなくなってしまったかもしれないけれど、真っ直ぐ伸びた一本道をただ走り抜けていくのではなくて、脇に逸れた道を風景を楽しみながらゆっくり歩いていくような気分で、楽しんでいけたらいいな。

寄り道も良し道だなんて、思いながら。

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