見出し画像

1000字小説「オクラの花」(小説)


僕が小学生の頃住んでいたイギリスでは、オクラはスーパーで売られてはいるが、あまりポピュラーな野菜ではなかった。

だから、「料理をさせたらいつも完璧」と僕の両親に褒められていた家政夫の彼が、調理に戸惑っていたのは当然かもしれない。

「塩揉み? っていうのをやるらしいんだけど……」
「日本のおばあちゃんのお手伝いでやったことある。一緒にやろうよ」
平日の夕方、僕はダイニングの椅子に彼と並んで座り、彼に塩揉みのやり方を教えていた。彼はすぐに覚えて、細く骨ばった指で丁寧に塩の粒をオクラに擦り付けていた。

父親が日本人だという彼は、日に焼けた肌に真っ白なシャツがよく似合う人だった。両親は不在がちだったが、家に帰ればいつも彼が優しく迎えてくれた。

「おばあちゃん、畑でオクラを育ててるんだけど、花がすごく綺麗なんだ」
「へぇ、そうなんだ! アキラは僕が知らないことを知っててすごいな」
目を丸くし、戯けた調子でそう言う彼を見て、僕も自然と笑顔になった。

「花びらが真っ白な、大きな花だったよ。すぐに散ってしまったけど」
「……ここで見れるものじゃないかもしれないけど、見てみたいな」
生まれてから一度も日本に行ったことがない、という彼は、どこか遠い目をしていた。

「今度日本に帰ったら、写真撮ってきてあげるよ」
「……ほんと?」
僕が頷くと、彼は「アキラは優しいね」と微笑み、僕の頭にポンと大きな手を乗せた。

言葉とは裏腹に、その笑顔はどこか寂しげだった。


それから1ヶ月後、彼は僕の家の家政夫を辞めた。

他の家で子供に手を上げたとかなんとか、両親が話しているのを聞いたが、真相はわからない。

そして、僕の家で彼の話題が出ることはなくなった。彼をあんなに褒めていた両親は、彼の名前さえ口にしなくなった。

まるで、最初からいなかったかのように。

僕も、彼の名前を思い出すことがどうしてもできない。だが彼が浮かべたあの寂しそうな笑みは、今でも覚えている。



「彰良、どうした? 腹でも痛いのか?」
向かいに座った、寮の同室の六角肇の声で我に返る。食堂の今晩のメニューは、夏野菜の煮浸しだ。

「何でもない。ちょっとぼうっとしてただけ」
「オクラ、嫌いなのか?」

肇の言葉に、僕は皿の中に残ったオクラを箸で持ち上げる。日本のオクラは、イギリスのオクラより少し小ぶりだ。

「……いや、好きだよ。とても」
久々に食べたオクラは、少し筋っぽくて、じんわりと懐かしい味がした。

(1000字)


※カバー画像は「みんなのフォトギャラリー」よりrasw様(https://note.com/rasw)のお写真をお借りしました。

ーー
彰良と肇は短編「春にはまだ早すぎる」にも登場しています。早春の話ですがそちらもぜひ(とらつぐみ・鵺)