春にはまだ早すぎる(小説)
2月の終わり。暦の上ではもう春だけど、朝はまだ肌寒い。
俺はブレザーの上からコートを羽織り、早足で校舎の方に向かう。時刻は午前7時。朝休みは、園芸部の貴重な活動時間だ。
俺の通う私立刁菊学園は、中高一貫校の男子校だ。俺を含むほとんどの学生が併設された寮に住んでいる。
その寮から徒歩数分の場所に校舎はある。寮から見て手前の建物は中等部、奥に高等部の校舎がある。その二つの建物の丁度中間あたりに、園芸部の部室(とは名ばかりの小屋)がある。
俺は小屋の鍵を開けて中に入り、ジョウロを手に取る。俺の水やり箇所は高等部の玄関前にある花壇、そしてこの小屋の近くにある鉢植えと植木だ。
玄関前に向かうと、高等部の校舎のさらに奥にあるグラウンドに向かう生徒が多くいた。朝練の時間帯だ。俺が中等部のころ入っていた、サッカー部の後輩とも何人か会った。
「西原先輩、おはようございます!」
「おはようございます!」
「おう、河合と大木。ちゃんと飯食ってるか? お前、カッコつけて髪伸ばしてんじゃねぇよ」
後輩の髪に手を伸ばし、ぐちゃぐちゃにかき回すと、後輩は走って逃げた。彼らを見送ると、また別の後輩たちがやってきた。
「西原先輩! 俺も髪伸ばしたんすよ」
「そのワカメ頭流行ってんのか?」
「先輩~筋トレだけでも来てくださいよ、折角鍛えた身体がもったいない」
「医者に止められてんだ、許せ。あと靴紐解けてる」
ジャージを着た後輩たちは、口々に喋りながらドタドタとグラウンドに走っていった。それを見送りつつ花壇に水をやり、俺は小屋へと戻る。
小屋前に置かれた鉢植えには、サイネリアの花がある。陽がよく当たる場所にある鉢には、たくさんの小さなピンク色の花がついている。
俺は小屋から出した液体肥料を鉢植えの土に刺し、ジョウロで花に水滴がつかないよう慎重に水をやった。
小屋のすぐ横は、高等部へ向かう道になっていて、脇にはイトスギが何本か植えられている。それにも水をやり終えた頃には、校舎に向かう生徒も多くなってきた。
その時、ポン、と後ろから肩に手を置かれた。
「ふぁ……おはよう、音緒」
「お前、また寝坊したのかよ。もう俺の当番は終わったぞ」
後ろにいたのは、高等部のもう一人の園芸部員――六角肇だ。目の上まで伸びたぼさぼさの髪の下には、無愛想な顔が見える。前を開いたコートの中から見える制服のネクタイは、不格好に結ばれている。
華奢で、髪をちゃんと切ればそこそこ美形なのに、小学生のころからこんな調子だから、あまり周りに人が寄ってこないタイプだ。
「ネクタイぐらいちゃんと結べよ。高等部入ってもう1年だぞ」
俺は肇のネクタイを結び直してやり、彼の口の端についていた歯磨き粉を指で拭った。
肇はその間そっぽを向いていて、ボソッと「おかんかよ」と言った。このだらしなさで口も悪いと来れば、救いようがない。
「屋上の花壇の水やりはちゃんとやれよ」
「今日俺、日直だから早く教室行かないと駄目なんだけど」
「は? そこまでわかってて寝坊するのかよ」
「わかっていれば寝坊しないなら、目覚まし時計はいらない」
「あ~~~じゃあどっかの空き時間で屋上行けばいいじゃねぇか」
「恩に着るよ」
「何で俺が代わってやることになってんだよ。お前行けよ」
ドン。肇と話すのに夢中になっていて、横の道を歩く生徒と肩がぶつかってしまった。その人がイトスギの枝に触れるガサッという音がした。
とっさに謝ろうとしたが、その時すでに横にその人はいなかった。
「あれ、もう行っちゃったかな」
校舎の方へ目を向けると、玄関の近くに、金色の髪とブレザーの肩にイトスギの葉っぱを付けた生徒がいた。
「そこの方、さっきはぶつかってすみません!! 頭にイトスギ付いてますよ!!」
俺は夢中で声を張り上げながらその人のもとに駆け寄り、頭と肩のイトスギの葉を払ってあげた。
周りの生徒がこちらに目を向け、ガヤガヤ何かを話している。それと同時に、その相手が誰なのかに気づいた。
「あ、来栖、か……」
その生徒は同じクラスの来栖彰良だった。この秋に高等部に編入してきた秀才で、イギリス人とのクウォーターで超のつく美形。性格も根明な彼は、いつも誰か友人に囲まれていて、二人で話したことはあまりなかった。
「西原……くんか」
来栖は呆れたような声で応えた。顔がなんだか赤く、綺麗な灰色の瞳には困惑が見える。
恥をかかせてしまった、と俺はとっさに思った。
「や、ごめん、ぶつかって怪我とかあったら大変だし……」
中々いいフォローの言葉が見つからない。
「怪我は特になかったよ。ありがとう。葉っぱも、教室に入るまでに気づけて良かったよ」
来栖はそう言うと爽やかな笑顔を浮かべた。怒ってはいないみたいだ。
俺がほっとした時、彼はコートの右肩に残っていたイトスギの葉を右手の指でつまみ上げた。白く細い指で緑色の葉をつまむ、どこか上品な所作に見とれていると、俺のコートの胸元が彼の左手でぐいと引き寄せられた。
「ちなみにイトスギの葉言葉は『死』だよ」
周りに聞こえない、低く小さな声でそう言うと、彼は再び笑顔になって、俺のコートの胸ポケットにイトスギの葉っぱを差し込む。
呆然とする俺をよそに、彼は校舎の中へ入っていった。
「あーあ、やったな」
いつの間にか後ろには肇が立っていた。彼はポケットに片手を突っ込み、もう片方の手でイトスギの葉っぱを持ち、クルクルと回転させていた。
「……そういやお前、来栖と寮の部屋同じだよな」
「うん、ああ見えて結構根に持つし、腹黒いタイプだよ。俺も何考えてるかよく分からないときある」
「そ、そうなのか」
下駄箱で靴を履き替えた来栖は、廊下にいたバスケ部の三人組と楽しそうに談笑していた。その笑顔は、どこにも裏の顔なんてあるようには見えない、明るいものだった。
「肇、放課後の水やり当番は頼んだわ。遺書書かないと」
「あれぐらいで死にゃしないだろ」
「いやだって、さっきめっちゃドスの効いた声で『イトスギの葉言葉は死だ』って」
「あー、逝ってらっしゃい」
「いや助けてくれよ……屋上の水やり代わるからさ」
「俺日直だから先行くぞ」
「わわわ、待ってくれよ肇~~」
肇の後を追って校舎に入った俺を追い立てるように、授業開始前の予鈴が鳴り響いていた。今日は前途多難な一日になりそうだ。
☆ ☆ ☆
午後3時半。授業後のホームルームが終わった。
隣の席の奴は、チャイムが鳴るなり教室を飛び出していった。部活があるらしい。他には掃除当番で机を運ぶ奴、手持ち無沙汰になって廊下で駄弁る奴……これは俺だ。
「音緒〜そこで突っ立ってるんならゴミ出し行ってくれよ」
「音緒さ、明日出す課題終わってる? ここ教えてくんない?」
「音緒!!今日の昼に貸した100円は?」
男子校の放課後は、授業中の数倍は喧しい。廊下を行き来する生徒に揉みくちゃにされる。
「音緒」
その時、ブレザーの袖をぐい、と引かれた。肇だ。
「今日は教室使う奴多そうだし、部室行こう」
「お、おう」
俺は肇に引きずられるように校舎を出て、園芸部の部室に向かった。
校舎の端に建てられた、掘っ立て小屋のような部室は、この時期すきま風が入ってきて寒い。俺は小屋の中央にある電気ヒーターのスイッチを入れる。
「ひー、寒い寒い。俺今日は課題あるから、教室の方がよかったんだけどな」
「教室うるさかったら集中できないだろ」
俺と肇はヒーターの前に立って手をかざす。ヒーターの赤い光に照らされた肇の顔は、いつものツンとした無表情だった。
狭い部室の中には、ジョウロや肥料、プランターといった道具が雑然と置かれている。部屋の奥には大き目の折りたたみテーブルと、丸椅子が二脚ある。
こんな設備だから、中等部も含め10人ほどいる部員が集まる部会は、教室を借りてやっている。
俺たち以外の部員がここに居座っているのも見たことがない。電気ヒーターも、寒さに弱い植物を保管するため、という口実で買ったものだ。
折りたたみテーブルの上には、園芸関係の本が何冊か置かれている。肇は丸椅子に座ると、そのうちの一冊を手に取った。
「肇は何してんの」
「次の部会、春に植える花の話するだろうからその予習」
「花のこととなると熱心だな相変わらず」
俺は課題をする手を止め、肇の読んでいる本を覗き込んだ。
「っておい、何調べてんだよ」
「やっぱイトスギの葉言葉は『死』だったわ。彰良のやつ、よく知ってたなこんなの」
「今日一日、何もなかったから忘れようとしていたことをお前は……」
「『怖い花言葉』のコーナーがあったからつい……ゴボウの花言葉ってこんなんなんだな」
「ゴボウって花咲くのか!?」
「咲くよ。中等部の時は畑で育ててたけど、アザミみたいな感じの花だった」
そう話す肇は、顔はいつもの無表情のままなのに、どこか嬉しそうだった。肇は小学生の時も園芸委員をやっているからか、植物のこととなると詳しい。
「……あ、ムスカリも、暗い花言葉があるんだ。『失望』『失意』」
「ムスカリって、あの青くて小っちゃい花か?」
俺の言葉に肇は本から顔を上げた。
「ムスカリは知ってるんだな」
「そんな意外そうな顔するなよ。っていうか覚えてないのか? 小学校で園芸委員やってたとき、一緒に育ててたろ」
肇と初めて同じクラスになったのは、小学校3年の時だ。
親の都合で中途半端な時期に転校してきた俺は――親が転勤族で慣れっこだったから、うまく立ち回って仲間外れにこそならなかったが、それでもクラスから少し浮いていた。
そのせいか、花には何も興味はなかったのに、「園芸委員今一人だけで、ちょうど一人分空いてるから」と、園芸委員を体よく押し付けられた。
そしてその、もう一人の園芸委員が肇だった。
最初会った時、肇は今以上に無愛想で無口、休み時間もいつも一人だった。
けれど、一緒に花の世話をしているときは、別人のように饒舌だった。それがきっかけで肇と話すようになって、気づけばもう5年以上の付き合いだ。
「『ムスカリは、地中でずっと春を待ってて、花ごとにょきにょき生えてくる』とか、色々教えてくれただろ? 花言葉も他になんか言ってた気がするけど、何だっけ。」
「……『通じ合う心』。園芸委員は、誰もやらないだろうと思ってやっただけだし、あの時のこともあんま覚えてない」
肇はそっぽを向きながらそう言った。嘘つけ。
「じゃあ俺がサッカー部辞めた時、なんで園芸部に誘ったんだよ。覚えてないわけないだろ」
「うるせぇな、そんな昔のこと忘れたよ」
肇はムキになったのか大声でそう言った。ストーブに当たっていた時よりも頬が紅潮している。
ブーッ。その時、机の上に置かれた肇のスマホが鳴った。
「……悪い、顧問に呼ばれたから行ってくるわ」
「おう、何か用事頼まれたのか?」
「や、新入部員のことでって書いてある」
「新入部員? こんな時期に?」
肇は首を傾げ、とにかく行ってくる、と椅子から立ち上がり、部室から出ていった。
コンコン。
肇が出ていってしばらくして、外から部室のドアを叩く音がした。
「あれ? もう用事は済んだのか? 鍵は開いてるけど」
俺は椅子から立ち上がり、ドアを開けた。そこに立っていたのは、金色の髪に灰色の瞳、遠くからでも目を引くような美形の男――
「やあ、西原くん。今朝ぶりだね」
俺は目を疑った。紛れもなく、目の前に立っていたのは今朝ぶつかった来栖彰良だった。
「来栖……どうしてこんなとこに」
「どうしてって、今日から僕も、園芸部の一員だから。よろしく」
「は……!? まさか新入部員って……」
「僕だよ。英国にいたときも、ガーデニングサークルがあって、時々参加してたんだよ」
そう言うと、来栖は微笑んだ。太陽のような眩しい笑顔。俺は目の前が真っ暗になる感覚を覚えた。
「な、何しに来たんだよ……今朝のことなら、謝ったじゃないか」
「? いや、園芸をしに来たんだが。もちろん、君にも興味があるけどね。肇から、君も園芸部だって話は聞いてたから」
俺にも興味がある、という言葉で、彰良は気障なウインクを一つした。
「そう、ですか……来栖は……」
「あ、折角同じ部活で同じクラスなんだし、僕のことは『彰良』って呼んでくれよ。その代わり、僕も君を名前で呼ぶから」
「……彰良は、顧問のとこに行かなくていいのか? さっき肇が顧問に呼ばれて行ったけど」
「ああ、あれは僕が顧問の先生にお願いしてね。教室を出て、肇と一緒に部室に行ったのを見てたから、こうでもしないと二人で話す機会はないだろう?」
あれも彰良の策略というわけか……
「そういや音緒くん」
「は、はい、なんでしょうか……」
「昼休みとか、たまにスマホでゲームしてるの見るけど、あれは何てゲーム?」
「……へ?」
俺は目が点になった。どんな嫌味を言われるのかと身構えていたのに。
「えっと、これだけど……」
俺はスマホでそのゲームを立ち上げて見せた。
「ああそのゲームか。僕も一時期やってたけど、最近やってないな」
「今、初心者向けイベやってるから、もう一度やるなら今じゃないかな」
「本当に? じゃあ今度やり方教えてよ」
「え、うん、いいけど……」
俺は首を傾げた。何なんだ……?
「音緒くんは高等部から園芸部って聞いたけど、中等部は何してたの?」「花だったら何が好き?」
「兄弟いるんだ? 弟? 年結構離れてるんだ?」
「春休みは実家帰るんなら、どこか遊び行かないかい?」
……その後も、彰良は色々と俺のことを質問攻めにしたが、話した内容はそんな他愛もないことばかりだった。
「あの、部室に来たってことは、顧問に道具の場所とか教えてもらえっていわれたんじゃ……?」
俺はタイミングを見計らって、口を挟んだ。彰良は口を閉じ、顎に手を当てた。
「……ああ、そういえば、そんなこと言われたな」
「うちの部、部会以外は基本的に当番組んで、花壇の世話するのが活動内容なんだ。花壇の場所教えるよ」
部室の外に出ると、道具を持った運動部の生徒が道をせわしなく行き交っていた。もう陽も傾いてきている。
「ここの植木と鉢植え以外に、玄関にも花壇がある。グラウンド近くの畑は、中等部の担当。屋上のプランターは高等部の担当」
「この花、サイネリアだね」
彰良は鉢植えの前にしゃがみこんだ。金色の髪が傾いた陽を反射し、キラリと輝く。
「詳しいんだな」
「家で育ててたからね。冬の間もずっと咲くから、庭が明るくなる」
「そうなんだ。この花、生徒にも先生にも人気で、よくここを通る人が立ち止まって見てるよ」
「へぇ。まるで音緒くんみたいな花だね」
彰良は俺を真っ直ぐ見つめながら、そう言った。
「俺? 俺のどこがサイネリアなんだ」
「いつも君の周りは人が絶えなくて、君が話すとパッと花が咲いたみたいに雰囲気が明るくなるじゃないか。後輩にも同級生にも好かれてて……」
「それを言うなら彰良の方だろ。俺に彰良ほどの華はないよ……」
そう言うと、彰良はポケットからスマホを取り出し、手帳型のケースに挟んであった写真を見せてきた。
「これは、誰……?」
「僕だよ」
そこに映っていたのは、黒い髪に灰色の目をした、10歳くらいの少年だった。言われてみれば少し面影がある。
「え、でも髪とか眉とか……」
「ブリーチだよ。編入する時からこの髪だったけど、地毛だと思われたのか特に何も言われなかったよ」
そう言うと、彰良は可笑しそうに目を細めた。
「なんでまた、そんなことを」
「……元々、日本に帰るつもりはなかったんだ。小さい頃、日本にある祖父の家にいたことはあるけど、それ以外は両親と英国で住んでたし」
でも、と彰良は言葉を切った。
「祖父が会社を経営していて、僕を跡取りにと思ったみたいで。『日本で名門校に通って勉強して、いい大学に行け、海外で遊んでるんじゃない』って。化石みたいな頭してるんだよね、祖父は……だから『反逆』みたいなものかな」
そう言う彰良は、クラスの誰にも見せたことがない表情をしていた。
「祖父も、最初は騒いでたけど、編入してすぐのテストと模試で学年一位取ったら、何も言わなくなったよ。だって、勉強させるために僕を日本に連れ戻したんだからね」
「日本では『出る杭は打たれる』って言うけど――僕みたいなのは、目立たないようにしたって、どうせ陰で何か言われる」
「だから、あえて目立ったうえで、誰にも文句を言われないようにしてやればいいんだって、ね。僕に華があるとすれば、それはそのためのものだよ」
そう言う彰良は、悪戯っ子のような笑顔を浮かべていた。その笑みは、いつも目にしていた爽やかな笑顔以上に、蠱惑的なものだった。
「……何ていうか、性格悪いな、お前」
「ははは、君ならそう言ってくれると思ったよ」
何故か彰良は楽しそうにそう言った。そして、これは二人だけの秘密、と俺の唇に人差し指を押し当てた。
その白く細長い指は冷たく、俺は少しどきりとした。
☆ ☆ ☆
次の日の朝7時。今日は昼から雨の予報で、昨日に比べればまだ暖かい。空は一面灰色で、行き交う生徒たちの顔色も心なしか暗い。いつものように部室にジョウロを取りに行くと、部室の前に肇がポツンと立っていた。
「あれ、今日は早いんだな。珍しく早起きできたのか」
「……」
肇は無言のままだった。いつもの無表情より、さらにムスッとした顔で、俺の方を見つめていた。
「……ひょっとして昨日のこと、まだ怒ってんのか? 悪かったって。彰良に屋上とか色々案内してたら遅くなって、そのまま帰っちまったんだよ」
あの後、肇は部室に戻ってきたそうだが、入れ違いになってしまった。「彰良が来たならなんで連絡くれないんだ」という肇からのメッセージに気づいたのは、寮に戻ってからだった。
「それは別に……彰良に何か言われなかった?」
「え……何かって、言われてもな……」
髪の色についての話は口止めされているから言えないし、他に大したことは話していないが……
「……あ、そこにあるサイネリア見て、俺みたいだって言ってたけど」
「は? 何だそれ」
「……いや、俺に聞かれても困るけど」
「音緒は……イトスギだろ」
「いや花ですらないし葉言葉『死』じゃねぇか。だから勝手に帰って悪かったって。今度ジュースおごるから許してくれよ」
「……何で怒ってるかも、分からないくせに」
肇は地面を見つめながら、ぼそりとそう言った。どういう意味だ、と聞こうとしたとき、ポン、と後ろから肩に手を置かれた。
「おはよう、音緒くん」
「お、彰良。今日は午後から雨らしいから、水やりは朝だけな」
「うん、わかった」
「痛ててて! 急に肩つねるなよ」
「課題とゲームのしすぎで、肩が凝ってるみたいだったから」
「じゃあもっと労わってくれよ」
彰良は悪戯っぽく笑うと俺の横を通り過ぎ、部室の前へと向かう。そんな彰良を見て、肇の顔が急に険しくなった。
「ジョウロを取りたいんだけど、どいてくれるかな」
「……お前、どういうつもりだよ」
「どういうつもりって……肇くんみたいに、音緒くんと仲良くしたいだけだけど」
「俺を出し抜いて、二人きりになって距離を詰めてか?」
「ずっと一緒にいるわりに、うかうかしていた君に言われたくないけどね」
二人の間に、ピリッ、とした空気が流れた。
一体どうなっているんだこの二人。俺は呆気にとられた。スッと肇の腕が彰良の胸元に伸びるのが見える。俺は慌てて二人の間に割って入る。
「わわわ、喧嘩はやめなってお二人さん。ほら、人が見てるじゃねえか。な? 何のことでそんなに怒ってるのか知らないけど……」
「「 君
のことでだよ!!!
お前 」」
二人に凄い剣幕で言われ、俺はますます訳が分からなくなった。
分厚い雲に覆われた空から、ゴロゴロ、という音が聞こえてきた。午後から雨という話だったが、今にも降り出しそうだ。
目の前で起きる嵐が通り過ぎなければ、暖かい春はやって来てくれない――二人の間に立ちながら、俺はそんな風に感じていた。
ーー
彰良のイメージ花はクリスマスローズ、花言葉は「私を慰めて」です。(とらつぐみ・鵺)
参考サイト:花言葉全般→https://hananokotoba.com
イトスギの花(葉)言葉→https://botanica-media.jp/2574
*カバー写真は「みんなのフォトギャラリー」Maoko様(https://note.com/maroma/)の画像より。