本の感想:塩田武士『騙し絵の牙』(今月の本)
こんにちは、とらつぐみです。
今月読んだ本は塩田武士先生の『騙し絵の牙』。
↑文庫版の方のリンクです。
主人公を大泉洋さんに「あてがき」した小説で2020年に映画が公開されるなど話題になった作品ですね。
発売当初読んでいなかったんですが、友人に「面白いから読んで感想聞かせて?」と言われたので文庫版で購入して読み、折角なのでここにも(ネタバレしない範囲で)感想を書こうと思います。
「書く」ことを支える人々の物語
この小説の舞台となるのは大手の出版社。
主人公の速水はそこでカルチャー雑誌の編集長を務める一方、小説を愛する根っからの編集者であり、多くの作家からの信頼が厚い出版人です。
ある日速水は、上司である相沢から、そのカルチャー雑誌の廃刊の可能性を匂わされ、雑誌存続のため社内の派閥争いに巻き込まれていく……というストーリーです。
出版社社員以外に作家も多く登場します。金銭問題で家計は火の車な大物作家、新人賞を取ったけれど次回作が続かない若手作家。
文才が認められて小説も書き始めた若手女優などなど、皆「どこかにいそう」なリアリティがあります。
また、近年の出版業界を取り巻く問題――雑誌の売れ行き低迷や電子書籍化、他メディアとのタイアップの難しさなどが生々しく描かれているのも特徴的です。
「こんなこと書いちゃっていいんですか?」となる描写も(笑)。
物語を通じて、小説や漫画をはじめとした創作物、それも出版というプロセスを経るものに多くの人が仕事として関わっている、ということが実感できます。
一方で、生活がかかっている、ということは雑誌の発行一つをとっても数多の思惑が渦巻くことを意味します。
そして主人公は、そういった思惑や「アイデアが浮かばない」「次回作の取材費がない」などの悩みにも付き合うことで、作家から信頼を得ています。
彼の仕事は書籍の売上や利益率といった数字では測れない(もちろんそれも重要ですが)、「書く」という営み自体を支えるものとして、描かれているように思います。
ペテン師か、それとも……
ところで、この本の帯や紹介文を見ると、「あなたも騙される」的な言葉がたくさん書いてあります。
私も読む前は、ミステリのようなトリックが何かあるのか? と思いながら読んでいましたが、結論から言うとそういった種類の「騙される」要素はない、と感じました。
どちらかと言えば、先ほど述べたような速水の表の顔、作家と真摯に向き合い雑誌を守ろうと奮闘する姿、ではない裏の顔を持つ、「トリックスター」としての速水を描いているように思えます。
トリックスターというのは、詐欺師のような意味もありますが、神話などでは「善と悪」「破壊と創造」といった相反する性質を持ち合わせる者を指します。
一方で、「善い人だと思ってたら実は悪い人だった」というような、単純な話でもないという点が、この小説の面白さなのかな、と思います。
速水に限らず、この小説の登場人物は様々な顔を持つ人物が出てきます。例えば速水と同じ雑誌の編集部にいる恵は、バリバリと仕事をこなす以外にも別の一面があります。
また彼の上司の相沢は、作中でも驚きの変わり身の速さを見せつけ、他の人物を圧倒します。ねずみ男のように徹底的した「強いものにつく」精神は、表裏ありすぎてむしろ清々しいくらいです。
しかしそうした「裏の顔」は、組織の中で、そして業界の荒波の中で生きるための知恵としては、良いか悪いかはともかく「よくある」ことではないでしょうか。
そしてこの小説は、そういった現実をただ描くだけでなく、速水が信念と現実とのギャップ、仕事と家庭、組織と個人的な関係の間で板挟みになる中で、ラストに二面性が現れるまでの過程を描いている点が面白さなのでは、と思います。
「騙される」楽しさ?
この本を読んだ後の感想としては、展開も目が離せず、主人公の心理描写、背景などが浮かぶにつれ、「こんな面があったのか」という驚きがあって面白い、と思いました。
今考えるとその驚きを「騙された!」という風に表現できなくもないのかな……とは思いますが、読んですぐはあまり「騙されたな」とならなかった、というのが正直な感想でした。
これは私が「衝撃のラスト!」と言われると期待しすぎてしまうタイプなせい(の上に友人からそう聞いて読んだせいもある)だと思います。
「騙された!」という感覚になれて楽しめる人も多いと思います。
本を売る上で「騙される」展開はプッシュされていますが……
それ以外の面でも、「いるいる、こういう人」という濃密なキャラクターや会話のテンポの良さなど、読むほどに面白くなる要素が多くあります。
「騙される」ルートに乗って楽しめるならもちろんいいですが、最初は何も考えずに物語自体を楽しみ、二周目以降でじっくり伏線をたどる、という楽しみ方もありなのではないでしょうか。
未読の方は、私の感想は一旦忘れて(笑)、ぜひお気軽に読んでみてはどうでしょうか。
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きっかけは友人のおすすめでしたが、この機会に塩田武士先生の他の本も読んでみようかなと思っています(とらつぐみ・鵺)