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東洋医学=中医学?

今回は、東洋医学の起源は?どうして生まれたのか?
東洋医学とは?中医学との関係は?について書きたいと思う。


そもそも、東洋医学とは?

日本では西洋医学の対比として、よく東洋医学の名前が出るが
東洋医学とは中国大陸を中心に発展発達した医学(=中国医学)を指す。
また、中国から日本に伝えられた医学(中医学)を漢方とも呼んでいた。
現在、日本で行われている東洋医学は隋唐の影響を受けて形成、発展したものである。
なので漢方≒東洋医学と少し違う部分もあるが
大まかに言うと、中医学=漢方=東洋医学と捉えられている。

※ここからは東洋医学のことを中医学という言葉を使い説明していくことにする。

西洋医学と中医学の関係は?

よく西洋医学や東洋医学と言われるが
WHO(世界保健機関)の内訳では
・現代医学←西洋医学
・伝統医学←中医学 etc
となっている。

現在の主要な医学は現代医学である。
歴史としては、中医学の方が古くからあるが、なぜ現代医学が主要の医学になっているのか、読み進めていくうちにわかってくると思う。

中医学とは?

中医学=経験医学+古代哲学
と説明できるだろう。
経験医学とは、その名の通り経験をもとにして蓄積された医学である。
古代哲学とは、大まかに3つに分けられる。

  1. 精気学説(気学説・気一元論)

  2. 陰陽学説(陰陽二元論)

  3. 五行学説(五行多元論)

この3つは中医学の考え方の礎となる部分だ。
またこの3つが生まれたのは、中国の春秋戦国時代(前770〜前221年)頃に現れた、「諸子百家」などの思想哲学から影響が大きと言われている。

中医学の基本理論体系はこの時代に形成されたとも言われる。
重要な文献として、中国最古の医学書と言われる「黄帝内経」がある。
「黄帝内経」は「素問」と「霊枢」各九巻、八十一篇
計十八巻、百六十二篇よりなる。

「黄帝内経」の作者と時代は、まだ未確定のままである。
だが「黄帝内経」の内容が上記にも書いたが諸子百家が現れた春秋時代からの思想を受け継ぎ、人体を対象として深化させたということである。
思想史の流れから見ると春秋戦国時代から秦をへて前漢までに完成したと考えられる。

諸子百家とは?

まず、諸子百家とは、中国の春秋戦国時代(前770〜前221年)頃に現れた学者、学派の総称である。
・「諸子」諸々の学者
・「百家」多くの学派

中医学に影響をもたらした諸子百家は?

中医学に影響をもたらしたと言われる諸子百家を例に挙げる。

  1. 老子の道家

  2. 孔子の儒家

  3. 鄒衍の陰陽家

時代は違うがインドの仏教も中医学に影響をもたらしたと言われている。

また、これらの哲学から文化思想、中国伝統文化が生まれ中医学に影響を与えた。

中医学に影響を与える中国伝統文化の思考様式は生体的な思考や弁証的な思考、中和的な思考などがある。

次回以降はそれらについて説明していこうと思う。


余談だが
中医学は思想や哲学、伝統文化などが理論的な支えとなっているが
現代医学は生理学や化学などが理論的な役割を担っている。




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