雪の中を歩き、思い出した熱意。
パーソナルトレーナーのたくみです。
東京・神奈川でも珍しく大雪になりまして
しっかり積もるほどでびっくりしました。
そんな中、駅から家までの30分ほどの道を
傘もなく歩いて帰ったわけですが、
雪にさらされながら思い出したことがあります。
それが、高校1年生の冬のこと。
名ばかりのスポーツクラスの生徒だった私は
2泊3日の長野県にスキーの資格合宿の時に
私はバットを持っていきました。
自由時間に、宿の前で、雪の中で
日課の素振り500〜1000回をやりました。
雪も降る中、外でならOKとタバコを吸いにきた
当時のおじさん担任の先生にも
「おめえまじか。もはや怖いわ。」と言われながら
バットを振ったわけです。
私は神奈川の田舎の県立高校出身なのですが
上手くもないのに「甲子園に行きたい」という
思いだけで野球に打ち込んでいた時期がありました。
あれですよ、大谷翔平や藤浪晋太郎や森友哉、
松井裕樹や田村と北条、あー懐かしい(敬称略)
甲子園や選抜でバチバチみてた世代なんです。
だから甲子園への憧れが過ごすぎて。
ただ呆れるほど下手だったんですよ。僕。
高校の監督と3年生が引退したすぐの面談で
目標はあっても当時自信がなく強みが言えなくて
「ご飯が余裕で食べれるから冬には身体作れます」と
言って「野球はどーすんだ」と言われました。。。
その高校では硬式経験者が思ったより少なく、
中学野球がクラブチームで過ごした私は当初
どんなもんじゃい?という目で見られていました。
(この頃も電車で1.5時間かけて通って目立ってた)
だからこそミスをすればするほど
めっちゃくちゃバカにされ、1時間に1本の
田舎電車を待つ時間で外周を走ったりする際も
「意味ないから」「頑張ってる感だけ」「演技すな」
などと言われていましたね。辛かったなあ。
今思うと確かに「改善の余地」はいっぱいあるし
効率や本当にすべきことはたくさんあったと思う。
それでも中学から専門学校業後数年も含め
適応障害やパニックなどと共に過ごしたあの頃
当時くそ田舎の県立高校ですらベンチ外の私は
「甲子園」という夢だけで息をしていたわけです。
たかだか当時15年の人生で「甲子園」という
届きそうにもない夢を見て、それしかないと思って
ただもがいていたあの時。雪の中バットを振り、
宿でUNOしてる横で体幹トレーニングをしてた
あの日々を今日、雪の中思い出したわけです。
今の自分に、当時ほどの熱い思いはあるのか?
勉強はした。野球のことも今もし時間が戻ったら
いくらでも改善の余地はある。
問題は熱量だ。雪の中、湯気を出しながら
バットを振り汗をかくあの自分は、下手でも
決して恥ずかしくない自分の姿だと思う。
※正確には、そう思えるようになった。
あの時こうしていれば
あの日に戻れれば
そう言っても戻るわけじゃないし。
(アジカンのソラニンみたいだね)
「今」しかないんです、結局。
今熱くなるものはなんだろうか。
あと5年たったときに振り返る今のじぶんが
自分でも認められる生き方をしているか?
雪の中、少し体温が熱くなった気がします。
後悔は出てはくる、けど恨みはない。
あのときの熱意を今もう一度素直になって
燃やしながら、あの頃の雪辱をはらす。
やってやるぞ。
てことで寝ます。笑 おやすみなさい
夜中テンションのたくみでした。
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