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2020年3月、今日も世界は廻る。

力をかりたら
次は相手が困ってる時 お前が力をかしてやればいい
世界ってそうやってまわってるんだ

2013年に150日の世界一周を経験して、思ったことが1つある。

自分って、日本のことを全然知らない。

政治のこと、経済のこと、土地のこと、文化のこと
何もわかっていなかった。
あれだけ騒がれた東日本大震災のことだって、全くわかっていなかった。

「3.11の時、大変だっただろ?」

そんなことを言われても、実感が湧かなかった。
テレビで街が津波に襲われている映像を観ていただけ。
「復興支援に行こう」そう思うだけで満足して、行動に移してすらいなかった。

だから、帰国してから、ちゃんと日本を廻ろうと思った。
移動手段にはヒッチハイクを選んだ。

イスラエルでのヒッチハイク

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人生で初めてのヒッチハイクは、日本ではなかった。
世界一周中に、イスラエルで経験していた。

ベツレヘム
パレスチナ自治区のひとつであるその土地から、イェルサレムへ帰る時に、完全に勢いで指立てヒッチをすることにした。
当たり前だけど、そんな簡単にクルマはとまってくれなくて、結局1/3くらいは歩いていたと思う。
想定外なことに、道中にはバス停が1つも見当たらなくて、このままイェルサレムまで歩くんじゃないかと思った。
半ば諦めかけていたそんなときに、クラクションが鳴った。

乗せてくれたのはユダヤ人の青年。
英語も話せないという彼は、それでも「君達が困っていたから」という理由で乗せてくれた。
車中の会話は、お互いにわかる英単語を探しながらの、ちぐはぐな会話だった。
でも、それでも、楽しい時間だったのを覚えている。
イェルサレムに着いて、改めて感謝の言葉を伝えると、彼ははにかんで、笑った。

世界は、誰かの優しさで廻っているのかもしれない。
そんなことを、想った。

日本でのヒッチハイク(東北編)

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2014年、9月9日。
よく晴れたその日に、僕はヒッチハイクの旅に出た。

最初の目的地は、東北を選んだ。
東日本大震災のときに行けなかった、いや、行かなかった後悔を、取り戻したかったのだ。

名古屋市内から刈谷PAを目指し、そこから東名高速道路をひたすら上って、東北へ。
こんなにも順調に行くものなのか、というくらい次から次へとクルマがとまってくれて、翌日には東北に辿り着いていた。

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メディアでの報道が少なくなっていたから、復興もだいぶ進んでいるのかと思っていた。

でも、違った。
震災から3年経ったその土地には、未だにその傷跡が残っていた。

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ただ単に、自分のアンテナが低いだけだった。
当事者ではないから、気になっていないだけだった。

実際に自分の足でその土地に訪れて、自分の目で見ることがどれだけ大切か。
情報がありふれたこの時代、大切な情報は自分で取捨選択しなければいけないこと。
痛いくらいに、実感した。

でも。
僕は、この東北の実情を目の当たりにしたところで、何が出来るんだろうか。
僕は、何が出来るんだろうか。
僕を乗せてくれた人達への恩すら返せない僕に、何が出来るんだろうか。

そんなことを、東北で僕を乗せてくれたお兄さんに話してみた。
そしたら、お兄さんは優しい声で、言った。
「ヒッチハイクで受けた恩って、返せないよな。でも、それでいいんだよ。返そうと思わなくていい。その恩は、他の誰かに伝えたらいい。同じように、東北に来て見たこと感じたことを、誰かに伝えたらいい。そうやって、繋いでいけばいい。」

日本でのヒッチハイク(四国編)

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東北へのヒッチハイク旅を終えてから1週間後。
僕は、四国へ向けてヒッチハイク旅を開始していた。

車中では、今までの旅の話をたくさんした。
世界一周をしたこと、ヒッチハイクをしたこと、東北で感じたこと。
そしたら、乗せてくれた人たちも、たくさん話してくれた。
今までの人生のこと、東日本大震災の時のこと、阪神淡路大震災の時のこと。

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乗せたくれた人のなかには「楽しい話を聞かせてくれたから」と言って、淡路島の観覧車に一緒に乗ろうと誘ってくれたカップルや、「お腹空いてるだろ」と言って、有無を言わさずランチをご馳走してくれたおじいさんもいた。
ただでさえ、乗せてもらえるだけでもありがたいのに、本当に、胸がいっぱいになった。

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香川から愛媛へ向かう途中、「自分も昔ヒッチハイクをしたことがある」というおじいさんのクルマに乗せてもらった。
おじいさんがヒッチハイク経験者だと知った僕は、なんで僕を乗せようと思ったのか、聞いてみた。
おじいさんは、昔のことを思い出すように優しい顔をして、答えてくれた。
「ヒッチハイクって、いつクルマがとまってくれるかわからないし、とまってくれてもなんとなく罪悪感を感じちゃうし、自分も悩んでた時期がある。そうやって、悩んだことがあるから、乗せずにはいられなかった。それでね、こうして松山くんを乗せた今、思うんだよ。こういうのって巡り巡るものなんだ、って。自分が受けた恩は、いつか、自分が誰かに伝えたらいい。きっと、世界ってそうやって廻ってる。」

3月のライオン

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冒頭の言葉は、3月のライオンに出てくる林田先生のセリフだ。
このセリフを聞いた時、ヒッチハイクの時のあの感情がフラッシュバックした。
いまの僕は、もらった恩を、ちゃんと誰かに伝えているだろうか。
もらった恩に、ちゃんと気付けているだろうか。


林田先生のセリフには、続きがある。

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力をかりたら
次は相手が困ってる時 お前が力をかしてやればいい
世界ってそうやってまわってるんだ

一人じゃどうにもならなくなったら誰かに頼れ
でないと実は誰もお前にも頼れないんだ

いまの僕は、ちゃんと誰かに頼れているだろうか。
いまの僕を、頼ってくれる人はいるのだろうか。

東日本大震災から9年経った今、改めて自分に問う。




画像、テキスト引用:
「3月のライオン」 3巻 Chapter32 - 羽海野チカ / 白泉社


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