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漫画っていいな

フロイトの夢分析の漫画を読んだら、ユングとアドラーも出てきて、同じ時代に生きた人だとようやく理解した。ストーリーを理解すると急に覚える。

活字の本で彼らが同じ時代を生きたという記述を読んだこと無かった気がする。もしくは、見落としていたかもしれない。漫画やアニメは視覚にも訴えてくれるから、より体験しやすいため、理解が早い。

ついでに源氏物語の漫画も読んだ。これは人物の関係等がすごく分かりやすかった。気持ちや表現のデフォルメは半端ないことは言わずもがなだが。そこで、今現代語訳された活字の源氏物語を読み始めた。漫画を読んだ後だと先入観もあり、スラスラ入ってくる。ここでは言葉の表現で全て伝えてくる訳だが、漫画を読んでしまうと、理解しやすい一方で自分の想像力をあまり使わない。だが活字を先に読んだほうがいいのかと言えば、そうとも言えないと思う。

何事も頭をよくするための訓練とする発想なら、活字を読んで漫画で答え合わせをする流れになるだろう。なんとなくこの流れがしっくり来るのだが、これはいつ身についてしまったのか。。

しかし一般に、バックグラウンドがあった方が楽しく理解できる。

そう思うと、本来学びっていうのは、楽しさの積み重ねで得られるものだろう。きっとそれが自然だ。しかし我々にはすでに、理解に務めてから答え合わせをするっていうスタイルが染み付いている。これは未開拓の分野を切り開くための学びの訓練だ。研究者と同様の過程を踏もうとしているように見えるが、モチベーションが研究者とは違う。

近年の教育方針は、自分で考えさせる力をつけようということのようだ。これは、事実を集めて理論を作るという、論理的思考を鍛えるものだそうだ。どうも、何事も目的が先にあるような気がする。こちらが優先されているだろう。

以前、大学のオープンスクールで中学生が来た。彼の学校では本格的な自由研究があった。その内容は、「好きなテーマについて気になることを調べ、自由に研究しよう。」みたいな事だった。この課題は感動した。なぜならこれは僕の頃と根本的に違って、みんなが同じ目標の元スタートしていないのだ。スタートが、「自分がワクワクすること」だ。それを自由に選ばせて始めさせる、っていうのは、これこそ研究だ。自分で論理を1から作っていける。狭っ苦しいモデルケースが用意されていない。

中学生がいったいどの程度の事実を、ただの事実と捉えて、どんな発見を結論にするかは様々だろう。だが、この試みは生徒に特定の成果物を求めていない。彼らが興味こそが学びの原点であることを潜在的に教えているのみだ。どうやって彼らに力添えするかは先生の腕の見せどころだ。

で、僕が今日言いたいことは、学びは理解できそうなところから始めれば良くて、別に焦って行うことじゃないってことだ。

いや〜しかし、その対象が趣味か仕事では全然違うから大変だ。現在の仕事には、やはり、旧義務教育のスタイルが必要だ。でも教育方針が変わっていることは、将来の仕事感も変えてゆき、仕事自体も変えていくんだろう。

多分、仕事や何かを新しく作る現場では、興味がモチベーションになっているんだろう。いずれみんな起業するメンタルになったりするんかなもしかしたら。。

今回は結論が出ない。まあいいや。

最後に脈絡のない意見を述べる。興味がどうのこうのとか言ってるが、僕は実は守破離(旧スタイル)が好きだ。なぜなら自由は後から学べるからで、文化をアイデンティティーの基盤にしてもいいと思うんだ。全員生まれた時から個として生きろなんて言うのは酷だ。日本ではそれは特にアイデンティティークライシスを招く。

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