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母が天国に行き、
この二年私の日常の記憶はないに等しい。

丁度三回忌。
小さい時から母の背中について離れない息子。本当に手がかかる息子。

同年代のおうちに遊びに行って、常にお母さんお母さん。

小学生になってもお母さんお母さん。
泣きじゃくりパニックなっている。
目新しい光景になると常に不安と恐怖が襲ってくる毎日、
それでもしぶとく愛に包んでくれていた。

私は自己防衛本能をフル活用すことしか生きる術はなかった。
母は大変大変苦労しただろう。

「何でうちこの子は学校にも行けず普通の子供のように生活が送れない」のだろうと思った事も死んだ後の私の視点。

母が無理やり引っ張って学校に連れていかれた事もある。

面識の無い先生が自宅に来て、私を力づくで無理やり学校に行かされた時もある。

母はお風呂場で泣いていた。

私も悲しくなった。
母の体力は限界を超えていたのだろう。

当時の家庭は不協和音ばかりだった。

家族は
当然私に対する「当たり」は日々増すばかりであった。

自閉症やら発達障害は今ご時世より認知が低い。
当然である。

今は節目の時期。
母の仏壇に手を合わせ「心配ばかりかけてお母さんすいませんでした。ここまで苦労をさせてしまいました。
どうか愛犬と共に金色に輝く草花の中に川が流れ天井には様々なダイヤモンド、サファイヤのような美しい夜空、夜景の中に富士山が星空輝きに反射し美しい世界。
私の頭にあるイメージ(供養)に行かれてくださいと祈ります。
母には苦労の言葉を何回どころではない事を経験させてしまった。
しかし母は「皆の幸せが私の幸せ」と何度も言っていた。
こんな母の元に生まれてきた事を誇りに思う。

もしテレビの街頭インタビューで「貴方の自慢は?」と聞かれたら、
間髪いれずに
「母の元に生まれてきた事です」
といっちゃいます。
テレビ的に何も面白くないから、ボツですが😅

最後天国に行く前、救急車のタンカで私の頭を腕で囲み抱きしめてくれた母。

生涯死ぬまで忘れない宝物であるのは言うまでもない。

「人は生きていくように死んでいく」
江原啓之


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