2024年の六文銭

コンレポ目当ての方は<第二部>からご覧ください。

<第一部>
未曾有の元旦からの大地震に見舞われた2024年。
あろうことか翌日には、これまで日本で最も起きにくいと思われた人的ミスによる航空機衝突事故、わずかに日航機の乗員乗客全員が脱出に成功したのは日本らしく、それでも被災地に向かう海上保安庁の乗員は機長を除き全員殉職という悲劇が襲った。

 終わったばかりの2023年もまた、戦後日本の繁栄の影に押し込まれた暗部のいくつかが炙り出された年でもあった。安倍の暗殺をきっかけにその象徴でもあった”忖度”と当たり前に行われてきた不正の数々がついに限度を超えて隠しようもなくなってきたのかも知れない、そうした流れの中でのスタートでもあった。

 おおよそ、人が作る世界、社会は明暗・善悪のバランスで成り立っている。これまで無能な政治家でも優秀な官僚組織がカバーすることで破綻は免れてきたが、その官僚自体が世襲政治家同様に気概、正義感、能力より財力を基盤とした学歴やそれを維持するための権力への忖度が蔓延することにより最早共倒れの域に達しようとしている。職人気質や向上心に支えられた産業界もマネーゲームと偏った”効率論”に押し切られるように従来の高品質は影を潜め、収益の良し悪しが全ての評価軸になり信頼感は薄らいでいった。政策的な円安&極低金利も輸出中心の大企業には何もしなくても莫大な利益が蓄積されるが、国民には収入が増えない中での物価高、わずかな資産は実質的にどんどん目減りする悲劇を繰り返している。

 金のための効率論を振りかざす愚かな社会学者が老人は非効率で早く死んだ方が社会のためだと嘯き、それをもてはやすネットメディアもまた何に対する効率なのかも議論することなく、ある意味そのベースとなる資本主義とは永遠に拡大していかなければ成立しない理論なのに、資源に限りがあることが明々になった時点で、そのまま進めばたった一人の勝者とその他全ての敗者に行き着き破滅しか残されていないことにいつになったら気がつくのだろう。

 効率とは曖昧ながらもその評価軸を社会・人の幸せにしない限りは必ず破綻する。わかりやすく言えば、たった一人の勝者が全ての富の基に超高効率に自動化、機械化により大量の消費財を投入しても、それを消費する能力さえ失った敗者ばかりの世界では、最早市場自体が存在せず、結果勝者も対価を得ることもなく破滅するという世界である。

 さてまたまた無駄話から始まってしまった。年の初めはその対局にある六文銭である。果たして4人合計で280歳を超える(50代のゆいさんを含めてだから残り3人は・・)のこのユニットのどこが非効率なのだろう?流石にパワーはともかく年輪を重ねたハーモニーはデジタルで合成されたそれに比べ体全体に無理なく染み込んでくる。何よりLIVEで演奏される曲は半世紀の時の流れとは無縁に、これからも間違いなく生き続けるものばかりだ。古典とは違う、時代とパラレルに進むことで懐メロになることはない。私にとっては年の初めに現実の闇と対極の六文銭に出会うことで精神のバランスを保ちながらなんとか日々を過ごしていけるとさえ言える。

昨年からの多くの訃報に触れるたび、おん歳80歳の小室さんを擁するこのユニットの生音に触れられるのは後何回あるのだろうかという葛藤の中で、恒例の1月のLIVEの予約を早々と入れた。会場は最近のお気に入り?曙橋のバックインタウンである。予約は2カ月前なので、それから予定を考えた。1泊コースも考えたが、所詮無趣味のひとり旅、外人ばかりの東京で、寝るだけの高い宿は無駄とばかり、古稀間近ながらいつものように日帰り往復のバス旅行にすることにした。夜行バスはともかく、昼行の高速バスはとにかく安い。9時前名古屋発で2時半頃東京着が早割等を使って2900円だった。帰りは少し奮発して3列シート車だったので6500円、正直、その価格差はシートの優劣ではなく需要と供給の関係だろう。

 9時前名古屋発ということで、何年かぶりに通勤ラッシュ時間帯のJRに乗った。時間帯の関係かほとんどが通勤客、満員なのにお通夜のように静かな車内で、全員スマホの画面を見つめながら、運ばれて行く。いいかいみんな会社のために働くんじゃないよ、自分のため、自分の家族のため、強いて言うなら社会のために働くんだよ。会社はあなたのことなんて換えの効く部品程度にしか思っていないのだから、と念を送りながら名古屋に向かった。

 高速バスの乗り場は名古屋駅の西口、路上とは言え駅のすぐ近く、しかし夜行バスの到着は電車で一駅くらい離れた笹島ライブ、バスタ新宿やバスターミナル八重洲のような総合バス乗り場とは異次元の不便さだ。翌日、この不便さがさらに増す事態になることはまだわかっていない。

 4列シートとは言え隣とは大きな仕切り板で区切られており、特に気を使うことはない。車内は8割が女性、TDLや横浜方面への金のない?観光客が中心である。こちらもある面スマホのお陰ですこぶる静か、30分の休息を2回とって定刻より少し早く八重洲のバスターミナルに到着した。途中、富士山がよく見えたのだが、いつもLIVEでご一緒する知人によれば、今年は雪が少ないそうだ。確かにイメージ通りの上部3割程度雪を被った富士山だが、この時期なら裾の近くまで真っ白でもおかしくないとのことだった。

バスの車窓から:いつもより雪が少ない富士山

LIVEまで4時間近く、初詣を兼ねて浅草寺に行くことにした。どうせならといつものウォーキングの代わりに歩いていくことにした。日本橋を経由して浅草方面に向かう。誰でも知っている江戸時代からの老舗が連なる路地をお上りさんよろしく歩く、すぐにスカイツリーが目に入ってきた。徒歩で1時間、5Km程度の行程だが、その大半は隅田川テラスを歩く。スカイツリーをバックに屋形船や各種のクルーズ船が行き交うのを眺めて歩いていると、スマホから次の川岸の階段を上るように指示された。そこはもう浅草寺の参道。ぎっしり人は多いのだが、日本語が聞こえない。アジア系を中心とした訪日客の群れだった。和装のカップルの大半も外国人。日本語は仲見世の店員からしか聞こえてこない。どうみてもこちらがアウェイな感じだ。去年の6月も日枝神社は外人ばかりだったが、本格的なコロナ明けの今年、東京は訪日客に占拠されていると言っても過言でない混雑だった。


隅田川テラスをひたすら歩く
ほとんどが外国人ばかり、いろんな言語が飛び交う本堂前

浅草から赤坂見附で乗り換え四谷三丁目へ。バックインタウンまでは歩いて10分ほどで行ける。開場までまだ時間があったので商店街方面の散策へ。このあたりでは突然、巨大な坂道に出くわすことが度々ある。タモリお得意の坂道学会によれば平地に見える都内も河岸段丘の関係で坂道がことの他多いとのこと。因みに曙橋とは昔フジテレビがあった河田町(フジテレビ跡地、河岸段丘上というか崖のような坂道の上には巨大なタワマンが建っている。)だが、商店街を進んでいくとハングル文字がやたら目につく。お店もコリアン風が多く、ミニコリアンタウンの趣だった。ようやく開場時間を過ぎたので、坂道を降りながらバックインタウンに向かうことにした。

こんな坂道が突然現れる曙町あたり

<第2部>
 会場はメイン道路に面しているのだが、オープンまでは明かりがないので看板を見落とすとついつい行き過ぎてしまう。今回は商店街散策前に場所を確認していたので迷うことなくSOLDOUTの会場へ階段を降りる。まだ開演まで1時間近くあるのだが、ほぼ満席に近い状態だった。お願いしていた知人の近くの席へ案内され、ご挨拶やら近況報告(何せ6の日以来だから)をしながら開演を待つ。

 話に夢中になっていると、すでに2メートルほど先のステージには小室さん親子、恒平さん、四角さんがチューニングのためにステージに上がって見えていた。小室さんがいつものように何かゆいさんにぶつぶつと呟いている。気がついたら定刻だったので始めることにしたとおっしゃりながら”本日はかくも賑々しく私のためにお集まりいただき・・”と取り止めのない感じでスタートした。こういう時は関西(岸和田)ではどんな挨拶をするんだと四角さんに振ったりと相変わらずまとまりのないまま最初の曲のイントロが・・。おぅ、最近では珍しい『はじまりはじまる』で2024年の六文銭はスタートした・・と思ったらお約束?の突然のストップ。どうやら四角さんから歌い出すようにリハから確認していたのに小室さんが関係なく歌い出したらしい。いつも以上にグダグダのスタート。曲が終わり、小室さんが言い訳を始める。昔のコンサートはみんなで歌うのが多かったが、歌い出すとみんなハーモニーを歌い出し、誰もメロディを歌おうとしなかった。だから、犠牲的精神でメインメロディを歌い出したんだと、まるで駄々っ子のような言い訳に他のメンバーが呆れながらも色々と突っ込んでくる。

 この曲の作詞は佐々木幹郎さん、2000年以降「まるで六文銭のように」から「六文銭’09」そして再び「六文銭」として今に至るのだが、まる六時代には幹郎さん作詞(というか詩に)の曲が多かったのだが、まるでが外れたあたりからLIVEでは昔からの六文銭の曲が多くなってきた。それが今日の最初の曲が”はじまりはじまる”ということは、今日のセットリストはどのようになっていくのだろうか?

 セットリストを考えるのは恒平さんの役目。ステージMCは以前は小室さんとの掛け合いが中心だったが、ここのところは小室親子の掛け合いに四角さんが絡んでいるのを尻目に、一人落ち着いて進行役をかっている。

 2曲目は『ヒゲの生えたスパイ』別役さんの戯曲、スパイものがたりに繋がる曲。この曲をベースに別役さんが戯曲を仕上げていったと言われる。そこで小室さんと恒平さんが遭遇するわけだから極めて意義深い曲と言える。その恒平さんの解説によると1967年頃ハイスクールライフという一応?高校生向けのフリーペーパーがありその編集者(調べると二代目らしいが)が松岡正剛さんだった。これには当時の新進気鋭の作家や詩人、芸術家と言うか時代の文化人全てが網羅されているようで、一部記載すると石原慎太郎、北杜夫、遠藤周作、五木寛之、高橋正巳、別役実 等々と考えられないほど豪華で幅広い。その他手塚治虫や寺山修司、唐十郎、武智鉄二等の名前もある。そんな中で錚々たる詩人が詞を提供し小室さんが曲をつけたものが六文銭挽歌集として掲載されており”私は月には行かないだろう”(作詞:大岡信)や”おもいだしてはいけない”(作詞:清岡卓行)などと並んでこの”ヒゲの生えたスパイ”があった。それにしても私も端くれ(成り立て)だけどこの雑誌が対象とした高校生ってどんな連中だったのだろう? 詳しくはばるぼらさんのnoteの記事でご確認いただきたい。https://note.com/bxjp/n/ne9c8b2576e3d

 因みに松岡正剛さんは極初期の六文銭のマネージャーみたいなこともやっていたし、ハイスクールライフの表紙イラストは宇野亜喜良さんで、アートディレクターはあの小島武さんがやって見えたそうだ。

 恒平さんの紹介が続く。3曲目はまさに小室さんと恒平さんが出会うことになった”スパイものがたり”の劇中歌である『雨が空から降れば』を恒平さんのリードヴォーカルで。なんとなくここまで六文銭の歴史に触れながらの曲が続いたが、4曲目ははじまりはじまるに続いて、まる六時代の曲『あめのことば』。この曲も最近ではほとんど聴かなかった曲だ。2000年横浜での恒平さんのLIVEに小室さんと四角さんが駆け付け、自然の流れで3人で再び歌い出したまる六。解散前の六文銭の曲が中心だった中で、小室さんと恒平さんが四角さんのために作った曲でもある。当時、四角さんはこの曲を練習する時号泣されたそうだが、曲が終わりゆいさんが徐に”これまで言ってこなかったんだけどおけいさんが加わってこの曲がプレゼントされて羨ましいなって思っていた、でも私が加わってからは二人から1曲も作ってもらってない。今年の夢は私にもそんな曲が欲しいなってこと”とおっしゃった。

 次の曲は小室さんのリードヴォーカルで『いのち返す日』。歌い終わった小室さんが”いい曲かくよね”って一言。そして”問題なのは次の曲だな”とも。恒平さんがそれを受けるように”愛をストレートに語る歌を作ろうと思った曲”と返す。更に小室さんが”いずれにしても問題作だな、何が問題かは聴いた人が考えればいいけど”として恒平さんのリードヴォーカルで『世界はまだ』。曲が終わりまだ小室さんは”歌っていたけど、正直何を歌っているのかわかんないんだよね。ただ不思議なもので文字だけ見るとわからないけど、歌にするとわかったように思えるから不思議なんだよね』とこれを受けてゆいさんが”私もわからないけど、なぜかどこか懐かしいというか、そんな人が身近にいるような気がした”と答える。それらを受けて恒平さんが”でもね、その意味は何って訊かれても創作だから自分でもわからないからね”と言い終わる間もなく小室さんが次の曲『道』を歌い出した。”道”は戦後戦地から帰還した詩人の黒田三郎が、荒れ果てた古里、鹿児島の市街を目の当たりにしてもう何をやっても自由だと言う想いを詩にしたものと小室さんが説明された。そしてこの詩に曲をつけたらと勧めたのは小室さんの盟友でもある佐々木幹郎さんとのこと。ハイスクールライフ以来ずっと詩人の詩に曲をつけて歌う小室さんの真骨頂の曲だと思う。

 しかし、小室さんの恒平さんの詩に対するいちゃもんはまだまだ続く。”それにしても一貫性がないんだよね。次の曲もあっちへ行ったりこっちへ行ったりしてさ”と話すとゆいさんが”私は小室家に生まれたんだけど恒平さんの書く詞の方がしっくりくることの方が多いな。等さんの詞は小難しいもの”と、それにみんながうなづくと小室さんが”これをアウェイって言うんだな”って。そして前半最後の曲『僕は麦を知らない』が演奏された。

実は最近のLIVE、小室さんと恒平さんのバトルというか掛け合いが少なかった。恒平さんの体調の関係もあるのだろうが、あえてゆいさんや四角さんがその役目を買って見えたのだろうと思う。その意味では、今日もお一人だけ座ったままでのステージとは言え、これまでよりは遥かに元気になられたようで、小室さんもそれがあるからあえて突っかかって恒平さんとの掛け合いを楽しんでいるように思えた。

 休憩を挟んで後半が始まる前に、先日起こった能登半島の地震に関して小室さんが永さんから引き継いだゆめ風基金のお話があった。ゆめ風は被災した障害者を支援する組織である。

 後半のスタートは、多分生で聴くのは初めての曲。とは言え六文銭というか小室さんを一番最初に意識した曲でもある。恒平さんの解説によれば、世の中でフォークソングというものが初めてテレビで流れた曲だとも言われていた。更に言えば、前半に名前の出た松岡正剛さんの作詞・作曲の曲でもある『比叡おろし』。小室さんによると正剛さんは作曲となっているが、実際は鼻歌程度だったものを小室さんが曲に仕上げたものらしい。ただこれまでのLIVEでは基本的にメンバーの誰かが作詞なり作曲なりを担当した曲しか演奏されたことはなかった。いずれにしてもまさか六文銭のLIVEでこの曲が聴けるとは、まる六時代の曲以上に驚きだった。その意味では今日のセットリストは中々方向性が見えにくい。

 次は『雨が降りそうだなぁ』恒平さん曰く、この曲が目標にしたのは、なんと郷ひろみの”男の子女の子”なのだそうだ。今日のLIVEにも見えていた三浦光紀さんがメジャーレーベルに対抗するために立ち上げたベルウッドでヒットを期待されたものとのこと。調べてみると編曲は柳田ヒロと瀬尾一三さんで音源を調べたら恒平さんが結構アイドルっぽく歌われている。残念ながら?大ヒットとはいかず、その後恒平さんには依頼が来なかったと自虐的にお話しされていた。
 続いて有働薫さんの作詞である『白無地方向幕』もう定番だけどこれはなんのことかの説明があったが、今やLEDの電光掲示が当たり前になったバスの行き先表示のことだ。

続いての曲はすっかりゆいさんと四角さんの女性デュオの曲になっている『木の椅子』。元々は恒平さんの詩にウォンウィンツァンさんが曲をつけたもの。このバックインタウンで6月にはそのお二人のLIVEがあるとのことで、その時は是非恒平さんに歌って欲しいと小室さんがリクエストなさっていた。

 オーラスに向けてはLIVEの定番曲が続いていく。小室さんによると次の曲の『おしっこ』は、当時べ平連の事務総長であった吉川勇一さんが谷川俊太郎さんに”ベトナム戦争の時に「死んだ男の残したものは」と言う曲を作ったのに(9.11以降のイラク・アフガン紛争が続く)今は何も作らないのか!”とはっぱをかけられ、作った詩。ただ小室さん曰く”死んだ男・・を作曲した武満徹さんはもう他界しており谷川さんが「だったらお前が作れ」と言われて作曲したもの”とのこと。残念ながらそれ以降も世界はきな臭いままで、現状のウクライナや台湾海峡の緊張状態を考えると谷川さんと小室さんにはこれらに続く第3弾を作ってもらわなければと思う。

 続いては『戦場はさみしい』そして小島武さんの作詞による死者の葬送歌である『12階建てのバス』そして本編最後は『長い夢』であった。

 今日のセットリスト、一番古いものは55年前の曲である。それ以外でも40年、50年前の曲も何曲もあった。当時高校生であった私が六文銭に初めて触れた頃、テレビから流れる演歌や軍歌にも通じる戦前の歌を懐メロとか古臭い前時代的なものと忌避していたことを思うと、セットリストは今を基軸に考えればそれらよりずっと前の曲のはずである。確かに今から50年、40年前の曲の多くは十分?に懐メロとなっているが、六文銭の曲は時の流れとパラレルに時代を超え、今に生きている。私が六文銭を追いかけ続けているのも、正にそれだからなのだとつくづく思った一日だった。そして何よりオン年80歳の小室さんを筆頭にメンバーの皆さんも同世代のシンガーが鬼籍に入られたり、引退する中、時の流れが違うのではないかと思えるほど、若く、やんちゃで、いい意味で可愛く落ち着きのない方々である。そして六文銭のLIVEでそんな皆さんに触れられることで私自身もまた、10代の遅れてきた青年のままでいられるのだと思う。

2024年の六文銭。アンコールは定番の『出発の歌』そしてある意味エンディングテーマである『無題』であった。順当なら次は六の日、私はまた10代に戻れるはずである。

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