見出し画像

#3 やりたいことをやるんだ!はいつ育った?

何かをやらされているのではなく、やりたいことができる

これって本当に幸せなことなんだと思う。

押し付けられているのではなく、何事にも能動的になる

楽しい、だけじゃなく目標が決まっている

頑張ったことではなく、達成したことに心が躍る

似ているようで違っていて、このような自分の原動力を言葉にすることが大事なんだと、最近よく思う

 発達障害のお子さんの学びを深める中で、脳機能の問題、特に「動機付け」に課題があることが分かってきている。
 宿題をやらなければならないのにやれない
 怒られるとわかっているけどまた繰り返す
 できたらいいなと思っているけど行動に移せない
 こういうことの繰り返しから「自分はできない」「みんなと比べられたくない」と思っていることが多いのだ。 


 もちろん、そのほかにも実行機能やワーキングメモリ等の認知機能や言語機能、感覚や運動の課題は言わずもがなであるが、動機付けはとても大きな課題だ。 
 特性への配慮や環境設定は、もちろんエチケットとして必要な知識や技術であるし、ABA(応用行動分析)やもアプローチ手法としては理解する必要があるが、まず根本的なお子さんの捉え方として「動機付け」を意識することは臨床家としては、大事なポイントである。

 障害のあるなしに関わらず、また年齢に関わらずこれが必要だということは誰もが同意できると思う。
楽しいからもっとやりたいし、そこから学んでさらにもっとやりたくなるからだ。

 前回のnoteにも記載した、国立特別支援教育総合研究所のJ⭐︎sKeps(Japanese Seven Key Points 7つのキーポイント)においても、その7つの項目全ての最初に「自ら〜」と記載されている。
 また、新学習指導要領の中に、アクティブラーニング(主体的で対話的で深い学び)が組み込まれたことにより、この「主体性」「自ら学ぶ」ことが教育界ではどんどん表にでてきている。
 それで何が大きく変わったかは・・・・教員ではないので控えるが、少なくとも「主体性」というワードが浸透したことは事実である。

 ここで発達障害の話に戻るが、この「主体性」を冠に研究を進めた経緯について、代表の齊藤宇開先生に「元々知的障害や発達障害を抱えた方が、言われれば動くけど、言われないと動かない、というケースが成人でも非常に多い」ということを聞き、精神科臨床で経験してきたことと一致した。
 病院で様々な人にか関わってきたが、彼らが能動的にガンガン動いている様子をみたことがあまりなく、セラピストとしては、提案やプログラムへの促しが多かったのではないか?たしかに言われたら動く人はいた(そうでない人もいた。)
いわゆる純粋な知的障害の方で、日々どんなことにも楽しめる方はいたが、ASD傾向を持つ方などは極端にこの「動機付け」の視点が低かったのだ。

 彼らは、学齢期から、指示されるがままの生活をしてきたのではないか?
 もっと自分を主張するような経験をしてきたら将来変わったのではないか?

 どこの段階でこの「動機」が育たなくなってしまったのか?

 いわゆる外発的な動機付けという、「頑張ったらお小遣いあげる」や「100点取ったら買ってあげる」という動機付けからスタートしている僕たちが、冒頭にも書いた「やりたいことに向かう」「達成したら楽しい」という内発的な動機付けに移行したのはいつなのか?
 みなさんは思い出せますか?

 いろんなお子さんに関わる中で、様々な特性に配慮しながら、トークンエコノミー法を用いた外発的な動機から、他者評価を用いた内発的動機への移行は学齢期のお子さんには必須であり、この視点で関わることで「楽しい」から「評価されたい」という気持ちになり、自己理解が進むことで「自分は何をしたいか?」を文字で言語化して、それを読んでさらに深める。これを繰り返していると自分の中で学びが深まり、よりやってみたいことが出てくる。様々なことに関心を持てるようになる。

やりたいことをやらないと、面白くない! 

と刷り込まれて育てられてきたわけではないが、いろいろな経験をさせてもらったし、その中で悔しいこと(ちびっこ将棋大会で負けたこと)、痛かったこと(兄の自転車の後ろに立ち乗りをして車輪に足がはさまって、中学入学してすぐに松葉杖だったこと)、刺激を受けたこと(毎週末何かをしていた)、頑張って乗り越えたこと(高校に受かったこと)など、思い出はたくさん残っている。

 たくさん経験した人にしかわからないことがある、たくさん勉強した人にしか分からないことがある、と母から言われ、

「やりたいことが決まっていないなら、自分の選択肢を増やすために勉強をする」と教えられた。
 テストで点をとるために勉強をするんじゃなくって、将来何かに「なりたい」「やりたい」と思った時にできるように勉強ってするんだ、となんとなくわかった。
それで猛烈にやったかと言われたら微妙だが、それなりに勉強したし、何より世界のこととか、刺激的なことに興味を持ったのは事実だ。 

こうなると、ポジティブ人間が育つらしい

何か失敗しても、次にまた必ず挑戦することがある
失敗したことを自分個人ではなく、どこに問題があったのかを分析できる
思考を止めないで考えればアイディアはたくさん出てくる

 動機付けに課題のある発達障害のある方にも、より楽しく、明るくなんでも挑戦できる人に育ってほしい。
 やりたいことがやれる、は必ずその先にあるはず

挑戦と再挑戦の機会を!を合言葉に、どんなことにも前向きに向かっていこう



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?