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誰かが悲しんでいる姿を見るのが嫌なだけ。

自分のためにつくったものを、誰かに共有することの喜び

【小さな自給・小さな暮らし】
SLOW×SMALL×SUSTAINABULE(ゆっくりと、小さくはじめて、育てていくこと)。ミニマルライフ・サステナブルライフへのライフシフト。日記のようなフォトエッセイ。

今やっている家庭菜園は、基本的には自分のため、自分の家族のためにやっていることで、他の誰かのためにやっているわけではない。もちろん、ちょっとお裾分けしたりとか、そういうのはあるのだけれども、でも、基本的には自分のため、自分たちのためにやっている。

先日、僕が大豆から育てて味噌をつくっているということで、その味噌を食べてみたいとリクエストがあった。前々からその話はあったけれども、でも、郵送するのもお金がかかるし、冷蔵で送るのも余計にお金がかかるし・・・、とまあ何か機会があれば、と思っていたが、まさか飛行機で持参することになるとは・・・。

たまたま出張で東京へ行く機会があり、その際に持っていくことになった。もちろん、そんなに大量に持っていけるわけもなく、ジップロックに入る程度で、手荷物として持っていける範囲で持っていった。

それで、友達の家で、お味噌汁をつくったり、味噌田楽をつくったり、そういう形で、自分が自分のためにつくった味噌で、友達と一緒に食卓を囲むことになったのだけど、美味しいと喜んでもらえるとなんだかとても嬉しくなる。

別に友達のためにつくったわけではなく、本当に自分と自分の家族のため。でも、それが思いもよらない形でシェアされていくことの喜び。今の農家さんは大規模農業になって、そして、農協などの消費者との間に入る業者があって、消費者の顔が見えなくなってしまって、それこそ、オートメーション化されてしまって、その行為が機械的になってしまっているけれども、昔は、もっとお互いに顔が見える中での売買、交換が行われていたことを考えると、きっとそのシェアした人たちが喜んでいる姿というのはきっと嬉しいものだったのではないだろうか、と思うのである。

つくることも楽しいけど、つくったものをシェアすること、共有することもまた楽しいのだ。笑顔が伝染していくこと。どんどん広がっていくこと。それもまた作り手の喜びとなる。また喜んでほしいと思って、また作業が楽しくなる。そんな循環みたいなものもきっとあるんだろうな、とこの前友達に自分のつくったものをシェアすることでそんなことを感じた。

これからも家庭菜園は自分のために、自分たちのためにやるのだけれども、でも、ちょっとだけ、いつもよりも作りすぎてみたりして、自分のためだから、他人にあげるほどでもないと、考えるのではなく、もう少しその境界線を曖昧にしてみるのもいいのかな、と思うのである。

郵送するとお金もかかるし、環境の負担もかかるから、と思っていたけれども、でも、それがあったとしても、今回のような形で何かの機会に持ち運ぶこともできるし、近くで手渡せる人とシェアするのでもいい。自分のためと思っているものでも、シェアすることによって喜んでもらえるのは、それはそれでとても嬉しいことなんだと思う。ある意味では本当にラッキーなことだ。だって、自分のためにと思っていたのが、それが周りの人たちにも喜んでもらえるのだから。

僕は農家でも何でもないし、特別美味しい野菜をつくれるわけではないけれども、でも、そうやってシェアすること、共有することの喜びは提供することができて、それを自分も感じることができる。そういうことがまた楽しくて、つくったもののクオリティだけではなく、そういう行為自体が人の営みの中でも大切なことなんじゃないかな、って思うのだ。

そして、そういうことを繰り返しているといつの間にか、より良いものができていく、より人に喜んでもらえるようなものになっていく。そんな循環もできてくるのではないだろうか。誰かと共有する喜びはそんな循環を生み出すような気がするのだ。

来年は何かシェアできるようなものをつくることができるだろうか。そう考えるだけでも、ちょっと楽しみが増えるのだ。

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