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平和学の視点でエコロジー思想を考える 『イカの哲学』中沢新一、波多野一郎

『イカの哲学』中沢新一、波多野一郎

『イカの哲学』というタイトルを聞くだけで、何だそれは? と思ってしまうが、詳しくは実際の本を読んでみていただくのがよいだろう。そんなに長いものではなく、また小説の形式をとっているのでとても読みやすい。しかし、そこに描かれている発見は非常に面白い。

『イカの哲学』の著者である波多野一郎氏は、戦争で特攻隊に入り、出発の直前で作戦が中止された。その後はロシアに拘留され炭鉱での強制労働。そのような生死のギリギリのところを彷徨った経験がこの本を生み出したのではないか、と中沢新一氏によって書かれている。

どうしたら世界は平和になるのだろうか。誰もが一度は考えたことはあるのではないだろうか。学校でも道徳の授業で何回かは考えさせられる。でも、数えるほどではないだろうか。今振り返るとあまりにも少なすぎることに驚く。それよりも国語、算数、理科、社会、英語…もちろんどれも大切だけど、何のための教養なのだろうか? 何のための教育なのだろうか? と思えてしまう。またもし日本が戦争に巻き込まれてしまうことがあれば、それは戦争するための教育となり、人を殺すための教養となってしまうのではないだろうか。そんなのはあまりにも切ないが、歴史からみれば人はいつでも最高の知識や技術を戦争に活用してきたのだ。きっとそれから逃れることは難しい。それは時代が人に要請することだから。時代がその人を見出してしまうから。

どうしたら戦争をやめられるのだろうか。平和は永遠にやって来ないのだろうか。でも、今現に日本は戦争をしていないという現実がある。たしかに戦争に負けたということはあるが、戦争に負けたからと言って二度と戦争はしないなんてことはない。ドイツなんていい例だろう。何度でも戦争を起こす可能性はどの国にもあるのである。第二次世界大戦だって、アメリカはあのまま続けることもできた。しかし、終戦となった。なぜだろうか。そこには、戦争をする原理としない原理がある。永遠に続く戦争というのもきっとないのだ。

そして、戦争も平和も人の行為である。人が生み出したものである。それならばやはり戦争を止める方法というものも存在するのだろう。戦争もまた人の心が起こすものなのだから。

戦争が起きる理由を、宗教の対立、経済の問題など色々な側面で言われることがあるが、この『イカの哲学』では、機械によって大量のイカを取ってしまうという行為から着想を得る。機械によってイカが大量に網にかかって押しつぶされながら運ばれていき最後には命を奪われる。それと原爆によって一度に大量の人が死ぬ。それとどう違いがあるのかと。イカをイカと思わず、実存と考えないからそういうことができるのだと。原爆もそうで人間を人間と思わないから、そんな爆弾を投下することができるのだと。では、僕たちができることは何か、しなければならないことは何か、と考えた時にあらゆる動物の実存を見ること、感じることであると。そう『イカの哲学』は教えてくれる。

今、世界中の人々が地球温暖化などの環境問題に注目し、行動するようになった。それは一見、環境問題の解決であり、戦争の解決には直接的にはつながっていないように思えるが、その『イカの哲学』の考え方で考えてみると、それはまさに平和のための行為とも言えるのである。僕たちは無意識にそういうことをしているのかもしれない。

最後に少し長くなるが中沢新一氏の言葉を引用して終わりにしたい。

だから、近代になって人間は自然との全面的な戦争状態に入ってしまった、という表現は、けっして診張ではないのだと思う。自分が開発や搾取の対象としている相手が、自分と同じ実存であることを忘れるとき、そこには無慈悲が支配する戦場とよく似た絶望が広がっていく。この状況をヒューマニズムによっては、超えることができない。人間ばかりか非人間の中に実存を見いだすことのできる直観に裏打ちされた思想だけが、そのような戦場の拡大をくい止める力を持つことができる。
 エコロジー思想を、このような自然との戦争状態に「停戦」をもたらそうとする運動として理解することができる。これ以上の戦争の持続と拡大は、この戦争における圧倒的勝者である人間に、破滅をもたらすにちがいない。私たちの言い方をすれば、それはもはや段階を超えて、超戦争のレベルにまで踏み込んでしまっている。それに立ち向かうべきエコロジー思想は、地球温暖化のベースを緩めるための現実的施策のレベルに、とどまっていることはできないだろう。ここにも、超平和の構造をもったエコロジーの思想が、かたちづくられてくるのでなければならない。

もし原爆のような超戦争が起これば、日本の憲法第9条のように超平和の思想も生まれるというのが中沢氏の考えである。もし、自然への超戦争が起これば(すでに原発は爆発してしまったが)、超平和の思想もまた生まれてくるのだろう。戦争が生まれないことに越したことはないが、でも、戦争が現に今も起こっており、これからも起こる可能性があることを理解しながら、僕たちはいつも「人間ばかりか非人間の中に実存を見いだすことのできる直観に裏打ちされた思想」を持っていなくてはならないのである。そして、『イカの哲学』はまさにそのことを教えてくれる稀有な哲学書なのである。

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