マガジンのカバー画像

TAKU LABO

「どう生きるのか?」よりも、知りたいのは「生きるとはどういうことか?」だ。 「自分(わたし)らしさ?」よりも、知りたいのは「自分(わたし)とは何か?」「なぜ自分(わたし)は存在し…
過去の記事はすべて読むことができます。
¥390 / 月

このマガジンはに廃刊予定です

運営しているクリエイター

記事一覧

しあわせのほんとう

今日は幸せについて考えてみたいと思います。なぜ私は幸せになれないのだろうか? と思うことはないでしょうか。でも、もう誰もが幸せというのは自分の中にあるもので、自分次第だということは多くの人がわかっているはずなのに、それでも幸せになれないのはなぜでしょうか。非常に当たり前のことですが、幸せは自分が感じること、自分が幸せと感じればよい。ただそれだけ。別に自分の外にあることとは関係ないと言うこともできる。つまりは自分次第なわけなんですよね。 幸せになれないのなぜかを考えると、幸せ

「健康とは何か?」を知らずして、人は健康になれるのだろうか?

【連載】哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 今日は健康について考えてみたいと思います。健康ですか? と聞かれて、健康です、と答える人が多いもしれないですが、「健康と言うものは何なんだろうか?」と考えたときに、なかなかその定義は難しいですよね。病気でないことが健康と考えている人は多いのかもしれないと思いますが、それが健やかであることと言えるのでしょうか。 現代人の多くは、何かしらの病気まではいかなく

わかるとわからない。つくってみないとわからないの不思議

【連載】哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 今日は「わかる」と「わからない」について考えてみたいと思います。この「わかる」と「わからない」というテーマは、哲学の巫女池田晶子の本にもよく出てくる話題で、「わかる」とはどういうことなのかを考えさせられます。私たちは「わからない」ということを理解することもできますが、ものごとの意味を完全には理解できないことも多いです。理解できないことがわかるというのは不思

あるとないの不思議 本来無一物であるならば

【連載】哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 あるものはあるし、ないものはない。当たり前のことですが、それはとても不思議なことです。あるものがないことはなく、ないものがあることはない。どうしてそうなっているのかを解明することは、きっとできないでしょう。あるものはあるし、ないものはない。それがこの世界の真理。でもなぜあるのかがわからない。この存在の謎はとても不思議なものです。 「本来無一物」という言葉

すべては違うからこそ、ひとつに成り立っているという不思議

【連載】哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 今日は「全てが違う」ということについて考えてみたいと思います。よく考えてみると、同じものが何ひとつないというのはどういうことか。これまた不思議なことですね。 たとえば、植物をまとめて「草」と呼ぶことがありますが、よく見ると、それぞれの大きさや色は異なります。我々はそれをひとまとめにして「草」と呼びますが、一つ一つの植物は全く異なる存在です。同じ種から生ま

人生は幻か?

【連載】哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 今『イリュージョン』(リチャード・バック)の音読会に参加しているというのもあって、ほんとにいろんなものってイリュージョン、すなわち幻想かもしれないんだなと感じます。感じはするけれども、僕たちはその幻想の中に生きてる。幻、その中に生きいてるというか、僕たちはその幻を作っている生きていると言う方が正しいのかもしれないなと思いますけれども、頭ではそういうふうにわ

世界とは

【連載】哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 最近、リチャード・バックの『イリュージョン』と田坂広志先生の『死は存在しない』を読んで、この「世界」とは何か? 世界があるとはどういうことか? ということについて少し考えてみたので、その話をしていきたいと思います。 この世界とは何なんだろう? と言うのは一度は誰もが考えたことがあるのではないでしょうか。でもなかなかその答えは出てこない。私がいて、世界があ

言葉の始まりは呼吸(息)

【連載】哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 言葉の始まり、さらに言葉の前には、音があったのではないかと考える人もいますが、確かにそうかなとも思います。でも、もっと考えてみると音を出すためには、呼吸というものがあるのではと。この呼吸というのも不思議なもので、意識して体を動かしたりすることできるという人間の機能はありますけれども、自分の思った通りに動かすことができるところは限られている中で、なぜか呼

違うと同じ みんなってだれのこと?

【連載】哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 今日は「違う」と「同じ」ということについて考えていきたいと思います。今、『かもめのジョナサン』の音読会に参加しているのですが、その中で、主人公である(かもめの)ジョナサンが飛行の練習することに対して、親はどうしてみんなと同じにできないの? と言う質問をします。それに対して、ジョナサンは試しに自分もみんなと同じようにやってみようとやってみるわけです。 た

幸せですか? と問うということ

【連載】哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 最近、二元論の超克という言葉を知ってしまってから、それについて考えるけれども、どうして二元論の超克をしたいか? と感じるのかというのは不思議ですね。基本的には面倒くさがり屋の性格なのが起因しているのではないかと思うのですが、それはどういうことかと言うと、例えば、生きていれば幸せを感じることもあれば、不幸を感じることもある。なかなかどっちだけというものがな

いつから春と言えば桜になったのだろうか

哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 今日は桜について。なぜ桜かというのは、たまたまソメイヨシノの話を聞いて、ソメイヨシノはクローンで増えていくみたいな話を聞いて、なるほどなと思いました。みんな同じクローンなので、もしかしたら急に一斉に枯れてしまうこともあるんじゃないか、みたいなので、逆に言えば皆一斉に咲き始める。それはそれで非常に美しいけれども、「もののあわれ」で有名な本居宣長はすごく桜が好きで、

分散の幸せ 『多拠点ライフ』石山アンジュ

石山さんは『シェアライフ』という本を書かれていますが、シェアする概念を広く普及させようと活動されている方です。今ではシェアリングサービスは当たり前になってきましたが、これはわりと最近のことで、テクノロジーが追いついてきたからこそ可能になったのだと思います。しかし、もともとは地域の中では、昔からシェアリングの概念はありましたが、テクノロジーを活用することで、身近な地域だけでなく、全国、全世界とシェアできるようになった点が非常に面白いと思います。 私は現在基本的にリモートで仕事

心の豊かさは、何を持たなくとも、いつからでも追求することができる

「『精神の考古学』刊行記念 中沢新一トークイベント」に参加。 イベントの内容としては、本の中に書かれていることを掘り下げるというか、編集者が気になった部分を先生との対談の中で明らかにしていく掘り下げていくというものであった。 私が一番気になった点は、実際に原初の心というか、そういうものは確かに存在するかもしれない。しかし、そういった宗教の体系があり、そういった心の状態まで人は瞑想だとか、いろいろな修行を通して、そういう心の状態になっていくことができる。でもその心の状態になっ

違和の心

自分が何を書こうとしていたかと思えば、心の違和ではないだろうか。違和感と言った方がわかりやすいかもしれないが、でも、心とあるので、違和としている。そんなのどっちでもいいと言われれば、そうなのだが、それもまた違和感があるのだ笑 もっと言えば違和の心をどう表現するかということではないだろうか。その言葉の方がもっと違和感があると言われそうである。そもそも違和とは何か?