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誰かが落ちないように願うことは、誰かが落ちることを願うことだろうか

今日の一言

オリンピックはほとんど見ていないのだけれども、それでも、地元の選手が活躍してくるのは嬉しい。いつからそういう感覚を持つようになったのか。人間とは元来そういうものなのだろうか?

そして、北海道のカーリングチームであるロコソラーレが道外でも人気であることを知ると、そんなにも有名なのだ? と驚いてしまう。彼女たちが休憩時間に食べているお菓子を買ってきてほしいと言われたことがある。

そして、そのお菓子はそんなにも北海道では有名ではなかったのに(たぶん。でも、昔からあるお菓子ではと思う)、でも、そういうことがあると、確かにどんなお菓子なのか気になるものである。

そうやって何かが広まっていくのかもしれないし、広まっていかないのかもしれない。

やっぱり地元の選手には頑張ってほしいと思ってしまう。彼女たちが頑張ったからと言って、僕の仕事に関係があるわけではない。彼女たちが勝つということはどこかのチームが負けるということで、ショックを受ける人たちもいる。

それでも、僕たちは自分たちが応援してくるところに買ってほしいと思ってしまう。そういう競争心はいつから芽生えたのか? それとも植え付けられたのか?

誰かの何かを応援することは悪いことではないと思うけれども、金銀銅しかメダルがないと、そのメダルには価値が出るけれども、それ以外に価値を見出すことが難しくなっていく。

それはスポーツの世界だけではなく、ビジネスの世界などもそうで、一番と二番の差はものすごく遠いものもある。そんなにも競争する必要があるのだろうか。そこまで相手をコテンパにするまで戦う必要があるのだろうか?

スポーツは楽しい。僕はスポーツをすることが好きだ。もちろん、勝ち負けなどもついてしまうものもある。でも、小さい頃はそれでも一緒に楽しんでいた。みんなが楽しめる方法を考えていた。それじゃないとまた遊びたいと思わなくなってしまうからである。

苦手な人には苦手な人用に対応して、得意な人には得意な人用に対応する。ハンデなんて言葉を知らなくても、僕たちはそうやってスポーツや遊びを楽しんでいた。

勝ち負けの中に生まれる感動もある。切磋琢磨する美しさもある。それとは別に世界の祭典であるならば、なんか世界がみんなで取り組めるスポーツ的なものもあったらいいなと思うのである。

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