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世界はどうして予言されうるのか 『予言された世界』(落合信彦、落合陽一)

 『予言された世界』(落合信彦、落合陽一)

要約

『予言された世界』の著者、落合信彦と陽一の親子の視点から未来を探るこの本は、ただの家族談義に留まらず、現代社会の情報の取り扱いや日本の行く末に深い洞察を投げかけます。信彦の国際ジャーナリストとしての経験と陽一の研究者としての視点が、情報の真実性とその影響力を掘り下げます。一次情報の重要性や、個人の責任感について考えさせられる内容は、読者に現実を直視する勇気を与え、日本、そして世界の未来への深い理解へと導きます。この本は、ただの親子の話ではなく、今の社会が直面する複雑な問題について考える契機を提供してくれるでしょう。
(by ChatGPT-4)

本文

落合陽一氏については、前からその活躍に注目していたが、落合信彦氏については、すごい人なんだろうなくらいで、その本を読むこともなく月日は流れていた。陽一氏を知るためにも、信彦氏の考え方を知ることは大切だろう。そんなことにも気が付かずに時間は流れてしまった。

今回、この本を読んで少しだけこの親子の世界を垣間見ることができた。信彦氏の考えに触れることができた。もっと早く信彦氏の考え方を知っていたら、もっと陽一氏の考えを深く理解できるようになったかもしれないと思うし、信彦氏は信彦氏でやはりただものではない。偉大な人物であることが、短い文章の中からもひしひしと感じられる。

こういう親がいて、こういう子供というのは、わかりそうでわからないものではないだろうか。たしかに顔が似ている親子はいる。でも、その性格はいつも似ているかなんてことはわからないし、人は十人十色というように家族であっても、全く別の人間なのである。でも、たしかに影響は受けている、でも、その影響の受け方、受けた影響をどう表現するかというのは、まったくもってその人次第になってしまうところに人間の個性を感じる。

別にこの本は親子のことを語った本ではない(一部質問等はあるが)。それよりも、この先世界がどうなっていくのか、そして、我々日本人はどうなっていくのか。どうしなければならないのか。そんなことについて議論が交わされている。親子でこういう話ができるというのは、すごいなと思う反面、日本ではテレビの話題くらいしか家族で議論できないこと自体がもうすでに何かがおかしいのかもしれない。

落合信彦氏は国際ジャーナリストとして、世界の本物と会ってきた人である。世界をまさに動かしていた人に直接会って話を聞いてきた人である。その人の話と、ネットのニュースで流れているフェイクなのかどうかもわからないような情報とでは、雲泥の差があるのであるが、そういった視点を早い頃から経験していた陽一氏も、研究という分野で一次情報などについて積極的に触れている。

それはどうしてそうなのか? と考える時に、一次情報に触れる、調べるというのは当たり前のことなのであるが、でも、多くの人たちはそんなことを考えることはない。自分は直接そんな偉い人には会えなし、ロシア語の原文なんて読めないとあきらめてしまう。そういうことの積み重ねでいつの間にか、ネットニュースなど簡単に使えるものを情報と思い込んで、それを取り入れて思考を形作っていく。たしかにみんながそうなので、それによって不都合が起きることはない。むしろ、ちゃんとした文献を読んで、実際に現場に行って見たことを話した方が、それ本当? と疑われるという事態にすらなっているのではないだろうか。

僕たちは見てもいないし、大した調べてもいないことを、本当のことだと思って他人に話してしまう。あまりにも無責任な話であるが、人はそれを気にすることはない。相手だってそうなのだから、ということすら今は考えてもいないだろうか。

でも、彼らのようなレベルの話になってくると、もうその情報の真偽だったりがとても重要になる。最初の情報が間違っていたら、その土台から全てが狂ってしまうからだ。そんな気軽に誰か無責任な人たちの発言を土台にするわけにはいかないのだ。

昔はもっと情報というものについて、責任を持っている人が多かったのではないだろうか。今はどう責任から逃れながら発信するかみたいな世の中になっている。そもそもそれを情報と呼んでいいのか、というところを考えなければならなくなっている。

この本を読んで二人の考えを聞いていると、自分自身もボケッと生きていることに気がつく。日本だっていつ戦争が起こったっておかしくはないのだ。そのリスクについていつも見て見ぬふりをしてしまう自分がいることに気がつく。でも、そのリスク、現状を把握し、加味しなければ未来のことなんて本当は考えることはできないのだ。目の前で起きていることで、非常にリスクが高いこと。それが起こってしまえば、全てが無に消し去ってしまうようなことが起きているのに、それを無視して、サスティナブルがどうこうなんて本来は言えないのではないだろうか。戦争が起きてしまえば、そんなことすら考えている暇はないのだから。もちろん、サスティナブルな思考が悪いのではなく、それを真剣に考えるためには今世界で起こっていることをちゃんと正視しなければならない。そういうことである。

とても当たり前だけれども、僕たちは見たいものしか見たくはない。そもそも目はそういう風にできているし、脳だってそういう風にできている。でも、それを理解して、それでも正視することができるというのが人間ではないだろうか。そもそも問題を抱えているのは、起こしているのは人間なのだから。

最後に「勇者たちからの伝言」の章にあった言葉から引用して終わりにしたい。なぜ落合信彦氏はこの章をつくったのか。一見唐突な感じはするけれども、でも、一番刺さった章であった。

 だが、セナは違った。
「時には努力を怠りたいような気持ちに陥る時もある。そんな時、私を駆り立ててくれるのが責任感だ。
 まず私にパフォーマンスのチャンスを与えてくれるために働いてくれる人々に対する責任感。(中略)
 また多くの人々から見られているという責任もある。(中略)
 さらに言えば自分自身に対する責任、自分の能力に対する責任を自覚することも大事だと思う」

今時、責任の話かと思うかもしれないが、でも、「自分の能力に対する責任を自覚すること」というのはとても大事だと思う。というか、本当はみんな自分で自分の責任を果たしたいのである。それをどこにあるのか探し続けているのが現代ではないだろうか。

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