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生きる理由 生きるほどの自分であれ

気温差20度

ハワイ島から北海道へ帰ってくると気温差は20度以上。空港に着いて、電車に乗っていると雪が見える。今年は雪解けが早いけれども、それでもまだ雪は残っている。そして、駅に着くと、なんだか雪が数センチ積もっている。このギャップはなんだろうか? 現実(寒さ)は厳しいw

それでも、時差ボケもなく、大きな疲れもなく、次の日から仕事へ。すんなりと社会復帰できた感じはなんだか不思議な感じがした。「もう会社行きたくね~」みたいになるかな、と思ったけど、そうでもなく、普通に会社へ行って、普通に仕事を再開する。だんだんと仕事と遊びの垣根が溶けてきているのかもしれない。基本的には好きなこと、やりたいことをやっているし、というか、それしかできないので、仕事も大きくみれば、遊びの一環なのかもしれない。

目の前のことばかりに囚われてしまうと、好きな仕事も好きな遊びも嫌になってしまうこともあるけれども、こうやってリフレッシュすることによって、またどちらも楽しめる。これも旅の秘儀なのかもしれない。

ただ今回はあまりにも多くの愛、親切、優しさ、勇気・・・をもらってしまったので、この恩を返したり、恩を送ったりするのは大変だ。まだまだ受け取るべきことはいっぱいあって、そして、与えること、与えられるようになることもいっぱいある。そんなことを旅で感じました。まだまだ(善く)生きていかなければならないな、生かされていることを実感する日々です。

メインの写真はハワイ島の「マウナケア」です。

「ハワイ島マウナケア」植物も何もない。石と雪の世界

生きる理由 生きるほどの自分であれ

多くの人にとっての人生最大の謎とはやはり生きる理由ではないだろうか。何のために生きるのか、人は理由を探し続けている。生きる理由が見つかっている人をみると、それを羨ましく思ったりする。なぜだろうか。やっぱり探しているからだ。でも、どうやったら見つかるのかわからない。

本屋にはビジネス書、自己啓発書、たくさんのジャンルで、生きる理由を見つけるための本が売られているが、一向にそれらの本が、本の棚からなくなることはない。みんな今でも探し続けている。見つからないからだ。

今地球の環境問題が大きな世界の課題となっている。地球温暖化が進めば、今まで住んでいた場所で住めなくなってしまう。これ以上環境破壊が進むと、元には戻れなくなってしまう、と。サスティナビリティ=持続可能性という言葉が多くの人が知るところとなった。でも、それもまた「人が」どう生きるか、という枠をでない。人がどう生きるかの問題に、地球の生命たちがとばっちりを受けているような状況ではないだろうか。

生きる理由もわかっていない人間たちに環境を破壊され続けている動植物たちはどのように感じているだろうか。何かを犠牲にして僕たちは生きている。それは動植物を殺して、僕たちはそれを食べなければ生きていけないからである。動物はダメでも、植物ならいい? 植物だって、取り過ぎればなくなってしまう。そして、もしかしたら植物だって殺されるのは嫌だと感じているかもしれない。折れた枝を痛々しく感じることは誰にでもあるだろう。植物だって生きているのだ。じゃあ、僕たちは何のために、どのように生きればいいのだろうか。

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