言葉の深淵 『読み終わらない本』若松英輔
僕は宝物探しのように言葉を探して、蒐集している。それは骨董品が好きな人が、骨董品を集めるようなものなのかもしれない。若松英輔氏の本を読むと、いつも宝物がたくさん取れる。期待して取れなかったら嫌なので、期待しないようにはしているけれども、それでも、集めた言葉のメモがいっぱいになる。どうしたらこれだけの言葉(宝物)を集めることができるのだろうか? と不思議に思う。
ただ最近は、作業としては集める、側から見たら蒐集、でも、感覚的には、言葉は降りてくる、言葉の方からやってくる、もしくは、言葉と出会うという方が近いような気がしている。若松氏の本はいつも言葉の深淵とつながっているのだ。だから掘っても掘っても、無くなることはない。言葉はたくさんそこにあるのだ。現代的な言い方をすると、クラウド上にある言葉をダウンロードするような感じだ。すでに全てそこにあるのだ。それを自分が選んで、もしくは、選ばれたものがダウンロードして、僕という人間を通して、現実に現れる。自分が扱ってそうに見えて、扱うことが難しい言葉。どうして言葉というものがあるのだろう? と思うけれども、きっとそれは誰もわからないし、きっと言葉にできない、という不思議。
この本『読み終わらない本』は、「君」への手紙という形で書かれている。なんだか手紙という言葉を聞くだけでドキッとする。もう年賀状も書くことがなくなって、ましてや手紙なんて書くことはなくなってしまった(元々ほとんど書いてはいないけど)、でも、受け取ると嬉しいもの。手紙が届くなんてわかったら、きっと心が弾んでしまうだろう。どうしてだろうか。きっとそこには、手紙という自分に宛てられた、言葉(想い)が込められていることを知っているからだろう。
言葉を書くのは「おもい」を表現するためで、記された言葉を読むのは「おもい」を受けとめるため、こう考えることができる。でも、「おもい」とはいったいなんだろう。ぼくたちは自分が何を「おもって」いるのか、ほんとうによく理解しているのだろうか。
(『読み終わらない本』若松英輔)
若松氏は、言葉を書くのは「おもい」を表現するためで、言葉を読むのは「おもい」を受けとるためと語る。確かにその通りだ。でも、そんな当たり前のことをいつしか僕たちは忘れてしまっている。だから、手紙と聞くだけでなんだかドキッとしてしまうのだろう。言葉とはただのコミュニケーションの手段ではなく、この「おもい」を送ったり、受けとめたりするものなのだと。いつの間にかそのことを忘れてしまっていたことを思い出させてくれる。
どうしてただの記号に「おもい」なんてものが表現できるのだろうか。そして、どうしてそこから暗号を解読するかのようにその記号から「おもい」を受けとることができるのだろうか。まさに言葉の秘儀ではないだろうか。
若松氏は今でこそ、多数の著書を書く作家である。しかし、元々は作家とは関係のない仕事をしていたこともある。彼は「あるときまで、言葉は、自分の考えや思いを誰かに伝えるときに用いるものだと思い込んでいた。」と語り、こう続ける。
でも今は、まったく違う実感がある。むしろ言葉は、考えや思いにならない何かを、こころからこころへ運ぶものだと感じるようになった。そして言葉は、ぼくたちを、ぼくたちの知らない「自分」へと導いてくれる光のようなものだと感じている。
(前掲書)
「こころからこころへ運ぶもの」、僕にはまだここまでの感覚をしっかりと実感できないけれども、でも、意味はわかる。もっとそれにふれたいと感じる。そうしたいと感じているのだ。言葉はまさに「光(愛)」なのである。そんなことを言うとおおげさに聞こえるだろうか。
そして、その言葉が集まってできた文学というものについて、彼はこう語る。
文学は、言葉によって言葉にならないものを表現しようとする芸術だ。言葉によって言葉にならないものを表現するなんて、矛盾していると思うかもしれないけどほんとうで、だからこそ、ぼくたちはそこに簡単には語れない感動を覚えるんじゃないだろうか。そこに文字では記されていないことが、まざまざと心に映じてくるのに驚くんじゃないだろうか。
(前掲書)
どうして言葉によって、「そこに文字では記されていないことが、まざまざと心に映じてくる」のだろうか。誰にも起こる当たり前のことすぎて、それについて考えたことがある人は少ないかもしれない。でも、こんなにも不思議なことはない。だから、僕たちは本を読むことができるし、文学を愛することができるのだろう。それがまさに芸術であり、芸術とはそういうものであるのかもしれない。それは文学に限らず、芸術と呼ばれるものの共通点なのかもしれない。
彼の本を読んでいると、どこかからか、書いていいんだよ、と言う言葉が届くような気がする。無名で、文章力もない自分が書いていいのか、と迷う時、書いていい、書かなくてはならない、と背中を押してくれる。上手い文章ではなくていい、わかりやすい言葉でなくていい、「おもい」を表現するのだと。「おもい」は勝手に生まれてくるのだと。そうそっと言葉の秘儀を教えてくれる。
僕もいつか「読み終わらない本」について書いてみたいと思う。僕の人生の中でもいくつか人生を変えた本がある。いつかそのことについて書いてみたいと思う。
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