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「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の後は?

約40年にわたり1万円札の顔としてお世話になった福沢諭吉。

近代日本に多大な影響をもたらした諭吉の言葉は数多くあるが、表題の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という名句。

人が生来持っているそのかけがえのない存在を表しており、人類皆平等が謳われている。
では、その後を知っていますか?みんな平等だと言った後に残酷なほど現実的な言葉が続くのです。

「されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり」
とこの世の中には貴賤や貧富の差があるというのです。

平等だ、と言っておきながら平等ではない社会は平等ではないと。
その言い方も、貧しい人、賤しい人、金持ちな人、ビンボーな人がいるよとはっきりと言い切っています。

なんだ、やっぱり人は上とか下とかがあるじゃないか。神様は上も下も作っているじゃないかと言いたいとこです。

この文言が記されている書物は『学問のすゝめ』。
そうです、タイトルにはありますがこの文言の理由は書かれていないのです。

実は別の書の発言でこう言っています。
「『実語教』に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由りて出来るものなり」

その賢い人と愚かな人を分けるものは何か。
学ぶか学ばないかである、と。

この実語教の教えは、単に勉学のことだけではない。
職業の教えもありました。
ありましたが、今でいう「国語」「算数」「一般教養」「常識」もしっかりとあります。

特に日本は貧富の差が開いてきましたよね。
このような差はあると言っています。
勉強するかしないかで差が生まれると言っています。

成績がよければすべて幸せというわけでは無いのは同感です。
しかし同時に、勉強することにより人の上にいくのか、人の下になるのかの差が生まれることもまた、感覚としてわかります。

児童・生徒・学生に限らず大人もですよね。
もちろん私も心に刻んでいかねば、ですね。

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