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【1-5】ハンコにも『明治維新』があった!?

前回、江戸で庶民、とりわけ町人の間でハンコが広まったとお話しました。
(まだ見られていない方はこちらからご確認ください)

その後、現代に至るまでハンコは使われ続けるのですが、実はほんの少しパワーバランスが違ったら日本も欧米同様に「サイン文化」になっていたかもしれないんです。
今回はそのお話をしていこうと思います。

時は明治初頭、日本社会の大転換がはかられた後、ハンコVS署名(サイン)の大激論が巻き起こったんです。
経緯をざっくり言いますとこうです。

a.「これまで花押(サイン)とか認めてきたけど、これからはハンコじゃないと認めないことにします!」

b.「いやいや、ハンコは偽造されて困るから、むしろサインに切り替えていきたい」

c.「ちょっと待ってちょっと待ってお兄さん!今から全部、自署にするのは非現実的でしょ!ってかしんどい!」

d.「だったらハンコを最強にすればいいのだ!!」

以上です!
・・これだと、さすがに良く分からないと思いますので、もう少しだけ詳しく見ていきましょう。

a.「ハンコしか認めない!」

明治6年太政官令23号にて
「ハンコのない文書は裁判で有効とならない」とされました。
これは、江戸時代まで通用していた武士階級の「花押」や、読み書きできない人や女性が主に用いていた「爪印(ハンコの代わり)」のみの文書は認められないというお達しでした。

という事は、明治6年からはサインや簡易ハンコは一切認めず、正式な文書には全てハンコを用いる事が決定されたんですね。
と、このまま現代までいきそうな気がしてしまいますが、事はそう単純ではないんです。

b.「ハンコが偽造されて困るからサインに切り替えていきたい」

aの法令が施行された4年後、明治10年太政官令50号にて
「証書にはハンコのほか、自署(サイン)の姓名が必要」とお達し出しました。これが自体を紛糾させたのです。
では誰が何の目的で自署(サイン)も必要としたのでしょうか?

まず、この法案を作ったのは「司法省(現:法務省)」なんですね。
そして通達の理由は以下の4点でした。

①ハンコを重要視するために、偽印や盗印により国民の権利財産を侵害する悪弊が生じた
②実印は偽造することが容易であるばかりでなく、ひそかに他人の実印を押すなど往々にして裁判上の問題が起きる。
③各人の運筆はこれを模倣することが困難である。
④故に自署は、花押といえども、ハンコに比べてはるかに勝っている。

まとめると、
「当時ハンコの偽造が多く困っていたことと、真偽の鑑定という意味では『自署(サイン)>ハンコ』という主張だったのです。

要するに、司法省としては本当はハンコを廃止して、サインにしたかったのです。
ですが、この当時まだ「識字率」が低く、自署のみにするには時期尚早という事情があったため、折衷案として『自署(サイン)+捺印(ハンコ)』という法案とし、徐々にサインに切り替えていくという青写真を描いていたのだと思います。

c.「今から全部、自署にするのは非現実的!」

しかし、この官令に対して、「大蔵省」と「銀行」が猛反対しました。
なぜなら、この頃、彼等が扱う膨大な量の書類には姓名が「印刷」されていたため、これらを全て自署(サイン)に変え、さらに捺印(ハンコ)も押すというのは実務上、負担が大き過ぎたという事だったのです。

自分が銀行員だったとして上司から、
「明日からのこれら数百種の書類全て、自署とハンコどちらも必要になったので対応を宜しく頼む!でも利益は一円も生まないから、残業ではなく、勤務時間内で終わらせるように」
と言われたら、どうしますか?
ストライキですよね(笑)
おそらくそんな感じだったのかなと想像します。

d.「ハンコ最強!」

この結果、「司法省」VS「大蔵省、銀行の連合軍」のパワーバランスにより後者が勝利することになりました。

こうした経緯により、
自署(サイン)+捺印(ハンコ)ではなく、
記名(印刷可)+捺印(ハンコ)となった訳です。

これが現在までハンコ万能主義の法的根拠となっているのです。
まぁ、当時のことを想像すると今の何倍もの公的書類や証書があったはずなので、この時代においてはこの決断も無理もないかもしれません。

明治から現代へ

上記の通り、明治の大論争は、ハンコ論者の勝利に終わりました。
当時のハンコ論者の根拠は次のようなものだったそうです。

・日本人に自署を要求することは古来から慣れ親しんだ慣習に合わない
・読み書きのできない人が多い
・実業家にとって株券などにいちいち署名するのは不便
・実印は大切に保管されるため、盗難の心配はない
・偽印の判定は容易だが、偽筆の鑑定は難しい

この頃の主張と今の主張、私はたいして変わっていないような気がします。
しかし世の中は明治→大正→昭和→平成→令和と5つの時代を渡り、150年もの時間が経過しました。明治の頃は当時の仕組みを勘案した結果、ハンコが使用される事になりました。
しかし、今は令和です。いい加減、同じような事を言っていてはダメだと私は思います!私はハンコ文化を愛しています。だからといって、変化しなくていいという事にはならないんです!

世の中ではこの間、新たな仕組みが生み出され、一定のリスクは内包しながらも形を成し、その仕組みに呼応して全てが動いています。
これは、なにもハンコに限った話ではなく、須く同じ仕組みで動き続けるのには限界があるのです。

生き残るものは変化を恐れないものです。
これは生物も企業も同じで、環境に適応したものだけが存在を許されているのだと思います。私はこうした変化の連続性が自然の原理原則だと考えています。

ですので、自らが携わる仕事においては、今こそ
「後世に残すべき価値」と「新たに生み出す価値」の両方の軸をしっかりと持っておくことが肝要だと私は思います。

【古い文化を今に伝え、新たな文化を刻みだす】 ハンコ文化のコアな部分は残しつつも、既存概念を取っ払い、時代合わせて変化する! 僕はそんな挑戦をしていこうと考えています。 同じような挑戦をしている方!! 一緒に楽しく頑張っていきましょう!!