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日本と海外の優等生の違い〜無条件に迎合する生徒を育てるリスク

こんにちは。
元大手進学塾トップクラス担当講師で、
現在はニュージーランド在住のグローバル教育コンサルタントのTakuです。

これまで30年以上にわたって、
様々な生徒たちと向き合ってきました。

その中で幸か不幸か、
日本でもここニュージーランドでも、
たくさんの「優等生」と向き合ってきました。

何をもって優等生というのかは、
正直微妙ではあるのですが、
ここでは分かりやすく「勉強のできる子」とします。

そんな勉強のできる優等生を、
日本とニュージーランドで比較したとき、
両者ではずいぶん違いがありました。

個人的にもとても興味深かったので、
今回はこのことについて考えてみたいと思います。


先生の言うことに迎合する日本の優等生

「あの子は優等生だからね」

あなたはこの言葉を聞いて、
どんな生徒をイメージするでしょうか。

私は日本で塾の講師をしていた当時、
「優等生」と聞くと先生の言うことをちゃんと聞く、
勤勉で素直な学生を想像していました。

先生に教わったことはちゃんと聞いて、
覚えなさいと言われたことは一生懸命覚える。

出された宿題には愚直に取り組み、
ズルをしたり手を抜いたりしない。

それはまさに美徳だと思いますし、
そうする生徒が悪いなどとは夢にも思いません。

先生にとっても親にとっても、
そういう子供はとても優秀に見えて、
誇らしくすらあるかもしれませんね。

しかしこうした優等生の特質は、
別の角度から見ると大きなリスクを孕んでいます。

それは批判的思考の発達が不十分で、
他者の意見に迎合しやすくなるという点です。

つまり先生や親が言っているから、
素直にいうことを聞こうという姿勢になりやすく、
自分で是非判断できなくなる恐れがあるのです。

こうしたリスクを持ったまま卒業し、
社会人として企業で働いていくようになれば、
指示待ち人間になるのは当然の帰結でしょう。

したたかな海外の優等生

一方で私がこれまで見てきた、
世界中から集まった「優等生」は、
日本の優等生とは全く質の違うものでした。

彼らも日本の優等生と同様に、
非常に学力や高いスキルを持っていますが、
大人に対する姿勢が異なりました。

まず彼らは先生や親の言っていることに、
疑問を持っていることが多いと感じます。

様々な指示を受けた場合にも、
まずは自分の意見をはっきりと告げて、
大人の反応を確かめます。

たとえば先生が宿題を出した場合、
もう少し減らして欲しいとか、
期限を延ばして欲しいなどと交渉を始めます。

もちろん先生が毎回引くわけではありませんが、
交渉で自分の要求を勝ち取ることも、
少なくはない印象です。

この姿勢の根底にあるのは、
大人の意見への素朴な疑問です。

先生や大人だって正しいとは限らない。

そんな「真実」を彼らは、
体感として知っているかのようです。

また彼らはそれにとどまらず、
交渉を通じて大人の反応を観察し、
自分の身の振り方を考えます。

どのように振る舞えば、
自分がもっと高評価を受けるのかを、
したたかに考え行動できるのです。

それは別の言い方をすれば、
処世術に長けているということでしょう。

勉強ができるだけの優等生ではなく、
社交性も身につけてこそ真のエリート。

彼らの行動を観察していると、
そう物語っているようにすら感じます。

マリーシアが必要な未来

日本的な優等生は産業革命以来、
多くの忠実な労働者が必要だった時代から、
高度経済成長期までは貴重な人材だったでしょう。

雇用主からすれば指示したことを、
正確に早く実施してくれるわけですから、
生産性向上にとても重宝したはずです。

しかし残念ながら時代はこうした、
従順だけれど主体性のない人材を、
以前のように求めなくなってきています。

経団連の調査結果でも、
多くの企業が主体性を持って働ける人材を、
求めていることが示されていました。

確かに正直で真っ直ぐな行動は、
日本人としては美徳だと思います。

でも国際競争に勝ち残るには、
その美徳だけでは極めて不十分なばかりか、
逆に弊害にすらなることもあるでしょう。

以前サッカーの世界で、
マリーシアという言葉が流行りました。

マリーシアとはポルトガル語で、
「ずる賢さ」を意味する言葉だそうです。

ずる賢さというといかにも、
悪いスキルのように思えるかもしれませんが、
それは時と場合によっては必須のスキルです。

社会に出て生きていくためには、
自分の身の振り方を考えないと、
どんどん問題ばかり背負い込むことになります。

どう身を処していくのかを考え、
ケースバイケースで自分の対処法を検討する。

社交的にこうどうするために、
ずる賢く生きていくこと=マリーシアは、
これからの時代には大切な処世術かもしれません。

まとめ

さていかがだったでしょうか。

日本人の優等生と海外の優等生には、
質的な差異が存在しています。

繰り返しになりますが、
どちらが本質的に考えて、
優れているということではありません。

ただこれからの時代の流れを考える時、
日本式の優等生は残念ながら、
多くのビハインドを背負うことになるでしょう。

その上でどんな方向性を、
自分の子供には目指させるのかについて、
親として考えられるといいですね。

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