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Facebookライブ カッコつけようとする自分との戦い

2020/05/13

はじめに

ここ最近仲間とフェイスブックライブをしているのでそのことについて感じたことなどをお伝えしていきたいと思います。僕は都内で保育園の職員をしている30代男性です。普段から保育の仲間と勉強できる場づくりについてはなしていて自主研修やブログで記事を交換したりするなどをしていたのでFacebookライブをするのも自分たちのなかでは思いの外自然な流れでした。今回はhow to というよりかは配信によって生じた内面的な話をお伝えしていきたいと思います。

準備

僕たちはZOOMを使って集まり、それを配信しようと考えました。必要になるのはZOOMとその画像、音声の形を整えてサーバーに送るOBSというソフトです。両方ともフリーソフトで対応できました。実際の設定のやり方等については他の人の記事にたくさん載っていると思うので割愛します。

LIVE配信することで知る自分

そもそもライブ配信をする目的をお伝えしていなかったですね。30歳にもなるのでそろそろ人に対してなにかを伝えるという練習をしたいなと思いその一環としてアウトプットをするようになりました。ブログではじめたのですが、文章をうつという作業に時間がかることもありすぐに面倒になってきました。そこでLIVE配信してそのアーカイブを残せば楽ちんにアウトプットできるのではという思いでした。

約束の9時になりZOOMで集まると早速配信を始めました。はじめは「あれ?これはつながっているのかな?」なんていいながら調子を整えようと工夫していました。薄々気がついていたのですが普段する話の感じとライブ配信をする感じとでは違う違和感があったのです。その正体を分析するとカッコつけだったのです

カッコつけの自分

いつもなら溢れ出てくることばもライブ配信という特殊な場だと息をひそめただその場に立たずむ自分を写します。見ている人はどう思うだろうか。間違ったこといわないかな?という冷静に考えれば石ころほどのちいさなことをまるで富士山かのように感じてうまく言葉にできません。ああ、ライブ配信をしてよかった。まさに向き合いたかった自分との出会いの瞬間です。はじめましてちっぽけな自分 そっちの調子はどうだい?ってな感じです。目的のひとつを果たしてうっとりしている場合ではありません。さて、それを踏まえてどうするか。選択肢はいくつかあります。①見なかったことにしてかっこいい自分像を守る ②その姿を否定して自己嫌悪の気持ちになる ③自分ってそんなもんなんだなと悟り味わう んー ①番はかっこ悪い ②番はなんだか陰気すぎますね。 かといって③番ほどの寛容さはない気はする。コーヒーを飲んだら少し頑ながほぐれてきました。まあまずは慣れが必要なのだと考えてまたライブ配信を通して自己と向き合って調子を伺いたいと思いました。

結論

コーヒーはすべてを包み込んでくれる

次回は毎日のコーヒーについて整理したいと思っています


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