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歴史的悲劇から学ぶ人の心理


はじめに

人はあらゆる感情を持っており
誰かやなにかに対して劣等感や嫉妬心などを抱くこと。
つまり負の感情を抱くことがあります。

これが限界値にまでに達すると最悪の事態がおきます。


それを示しているのが
負の歴史的産物でもあるユダヤ人の迫害になると私は感じます。


私はこの出来事に対して繰り返してはならないと思いますが

アドルフヒトラーがユダヤ人に対しての恐怖を抱いたのか。
自らが生き残るべき取った行動に対して狂気じみているものの、ある意味人間の最終地点なのか。

それを紐解いていくと人間の本質や世界の考え方などが見えてくるのではないかと考えられるのではないかと思います。



嫉妬心

人には多くの感情を持ち
憎悪・厭忌、相手に対して感じることというものは、普段の生活でいくらでもありうることで。

自分の持っていないものは羨むことはいたって普通のことであると私は思います。


憧れで済む部分が過度に感じてしまうと嫉妬に変わってしまうのではないかと考えます。


さて。
第二次世界大戦中のドイツならびに周辺国で起きていたユダヤ人の迫害の問題に置き換えると。


ユダヤ人が優秀に感じ、脅威に感じた。
自らが持っていないものを持っているように感じた。
など様々な要因が重なり、迫害に至ったのだと私は考えます。


歴史は歴史であったとしても人の感情まではわかりません。

ヒトラーがなにを思い、この事態に至ったのかまではわかりません。


被害者としての感情・この出来事の真相、その時の現状はこの著書にて書き示されているのです。




人を助けるという道徳心

マウトハウゼンの収容所では殺人も行われていたが、少なからず娯楽もあった。

収容されている者の中で
殺人や強姦などの罪を犯したものが収容者の中でも上の立場に立ち、逆らえる状態でないことが当時の収容者として同じ立場であるがそこにおいてのヒエラルキーが存在したこと。

同じ立場、生まれ故郷など。同じ境遇でありながらも手を差し伸ばすことができない道徳に反した行為。

逆に考えると。
隣にいる人が。家族が。また心の拠り所にしていたであろう友人が痩せこけて極度に疲弊してた場合。

みなさんはどうしますか?

手を差し伸べるのが普通であると思いますが
手を差し伸べると自分自身に返ってくる。
自分が痛めつけられるとわかった時

みなさんはどうしますか?


ここで意見は真っ二つに分かれるかと思います。


自分も疲弊していて。
他の誰のためにも手を差し伸べることができない状況であると考える方もいれば

自分が犠牲になってでも誰かのために助けてあげる。


そう思う方もいるかと思います。


睡魔と空腹と何もかもの欲という欲が削ぎ落とされた毎日の中で
誰かを助けるという心を持っていられるのでしょうか?


世界のどこかで紛争などが起こっている世の中でありますが
今ここで生きている。
この喜びを噛み締めて生きなければならないと思わせる情景。


余裕があればできるが、余裕がなければできないのでは。

“余裕”とはなにか。


人の心を動かすものであると。


道徳心は精神的・身体的な余裕がなければ
生まれないものではないかと私は感じる。



平常を保つための存在


いつでも死と隣り合わせの場所で
それでも生きるんだという強い精神を持ち続けたのはなにかがあるからです。


それは

【家族】【恋人】

の存在


それがあったからこそ、生きてまた再会するんだという気持ちにまでなったのだと思います。


あのかの有名なアインシュタインも
【愛の力】は計り知れないと言っている通り、

恋人への愛
家族への愛

またそれに代わるものの人への愛は
死と隣り合わせの場所であったとしても

【生きる】ことに執着し
たとえ、これ以上いけば死ぬんじゃないか。
と言った場面でも


自分がなにかを成し遂げたい。という気持ちはもちろん。
誰かに会いたい。と言った気持ちが生きる糧になっていたんだということが伺えます。


みなさんはそう思える方が1人でもいますか?

また自分自身がそうなってみたいと思いませんか?

そう言った存在がいなかったとしても
それに代わるなにか。

持っていますか?
そのなにかを。



最後に

世界では様々なことが起きています。
さらに過去にそういったことまで起きてきました。


歴史的な産物であり
2度と繰り返さないためにも
そこから学ぶことは重要です。


物事は何が正しくて何が不正解か。
なんてことはわかりません。


今回はたった1つの書物から浮き出てきた事実。

あらゆる視点から見ることは可能ですが

【人と人との関わり】

支え合って生きているものが
自分の思っていることから逸脱したりすると

支え合うどころか殺し合う同士に変貌してしまうのです。


様々な思想が入り乱れる中で

世界が平和になることは不可能なのかもしれませんが

愛に溢れる世界になれば

世界が平和になっていくのではないか

とこの歴史的背景から感じ取れました。


みなさんはどう感じますか?

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