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なんで"時は金なり"?

 どうもtakuhoです。
夏本番ですね!最近サウナや温泉ブームが筆頭してきていると思います。しかし、入浴中に失われる水分量は800mlもあるそうです。
夏の暑さもあるので、ぜひ水分補給を忘れずに行いましょう!

さて今日は、「時間」をテーマに書いてみようかと思います。

時は金なり

 皆さんもよくこの言葉聞くかと思います。時間はとても大切で金銭と同価値であるという意味ですよね。
事実皆さんもこの概念を元に、生活をしているかと思います。例えば、時給制度です。1時間働くといくらもらえるという概念は、あなたの労働時間をお金に変換するという、まさに時は金なりの理論に基づいています。

 この理論が提唱されたことで、人々の時間の価値にも差が生まれ始めました。
例えば、時給が1,000円のAくんと時給が10,000円のBくんでは1時間という時間に10倍もの価値の差が生まれます。
このようにして、時間とお金を比較して考える方法はその人たちの時間に価値の差を生み出したのです。

この時は金なり理論確かに面白いと思います。しかし、一つ疑問が残ります。それは、「なぜ時間とお金は同価値なのか」という部分です。なぜ時とお金は同価値であると考えられたのでしょうか?

時に存在する価値

 この疑問を考えるには、そもそも、時とは何かについて考えなくてはいけません。時つまり時間とはなんでしょうか?
僕が思う時間とは"命"です。あなたが生まれてから死ぬまでに過ごす"時間"とは生きていることのできる時間=命そのものなんです。

 この理論からいくと命そのものには価値があるということになりますね。
では、なぜ命には価値があるのか。それは、命には

価値を生み出すことのできる無限の可能性がある

からです。

 人間は生きているだけで様々な価値を創造する可能性を秘めています。もしかしたら、たくさんの人を助けることのできる新薬を作り出す可能性も、いろんな人の作業を効率化できるシステムを開発する可能性も、誰かの心の支えになる可能性も、誰かを勇気づける存在になる可能性も、誰かの生きる意味になれる可能性もあります。
この無限にある可能性にこそ、価値があるのです。

だからこそ、人は生きていること自体にそもそもの価値があり、その可能性を実現することでその価値は目にみえるお金という形で評価・感謝されます

時とは、命そのものであり、命とは様々な価値を生み出す可能性の塊です。だからこそ、命には価値があり、時間にも価値があるんです。

時をどう使うか

 しかし、残念なことに、このめちゃめちゃに価値のある時間は、取っておくことができません。
使わないということが不可能であり、無駄に垂れ流すか、有効に使うかの二択しか存在しません。
その条件下において、皆さんはこの時間をどう使いますか?

 もちろん崇高な理念をとか、めちゃめちゃ計画的に有意義に!なんて言うつもりはありません。しかし、自分の命でもあり、貯めることができず、使わなければ垂れ流しとなってしまう、という事実は大切にしなければいけないと個人的には思っています。

最後に

 いかがだったでしょうか、「時間」。
時間の大切さみたいな部分の記事を見たいとのお声をいただいたので、今回は書いてみました。
結構時間を無駄にしないとか、時は金なりって言葉は聞くけど、なぜそう言われているのか、みたいな部分まで踏み込むことってないかなと思うので、この記事をきっかけに考える機会ができれば幸いです。

それではまた。

takuho


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