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常識人間になるな。

こんにちは。
最近はTwitterは毎日何かしらTweetするように心がけ、
noteも週1以上で更新しないとって思いながら生活しているので、
情報に対してだんだんと敏感になってきました。

これぞ、発信を続ける醍醐味なのだろうか。

と思い始めました。


知らんけど。



今回は、
常識ってなんだろうって思い始めたので
「常識を疑うこと」
について。

僕は基本的に、性格が悪く、性根が腐っているクソ人間なので、
自分が信頼を置ける人以外には疑ってかかるタイプです。

めちゃくちゃ安くなっている商品や
キャンペーンの類は
裏があるのではないかと思ってしまうし。
裏がありますよね?みたいな質問をする。

これによって、
第一印象が悪い。
だから友達が少ない。


最近の口癖は、「友達欲しい」
先日、小学校ぶりに、
「友達になろうよ!」
って言ったばかりだ。

いや、急になんの話だよ。
って感じだが、
察して欲しい。
今すぐ「スキ」をつけて、フォローして欲しい←

ps.僕は、友達には随分と尽くすタイプです。



冗談はさておき、
本題に入りますね。

Google先生に
「常識って何?」
って聞いたらこんな感じでした。

健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。

まあ、なんとなくわかった。
ただ、(普通の)ってところが、なんだか引っかかる。


ここから僕は、
常識って「大衆によって作り出されているもの」という認識をした。
要するに「常識」とは、みんなの共通認識。



最近は、この、「常識」が危ないと思い始めた。

なぜなら、
「常識」は覆されるから。
さらに、
「常識」ばかり追っているといつも一歩出遅れる。

「常識」とは、
一般的に認知されたもの。

つまり、
誰かが「非常識な事実」を発見し、
周りの人間を説得し、
世の中に「非常識な事実」が流れ、
大衆が認知し、
「常識」になる。

と言ったところだろうか。

「常識」になった頃には、随分と時間が経ったものになっていて。
もっとすごい「非常識な事実」が迫ってきていることであろう。

なので、
「常識」にばかり縛られていると、

一歩遅れた人生になってしまう。


僕が大学で学んでいた、スポーツ科学の分野では、
発展途上な分野な為、それのサイクルがもっと早くて、
この前までの常識が度々覆される。

例を挙げると、
・筋肥大は運動強度ではなく総負荷量に依存する
・筋トレ後のゴールデンタイムのプロテインはそこまで重要ではない
などなど。

10年前の「常識」などもはや「非常識」になっていくのだ。


僕たちの社会でもそうだ。
パソコンやケータイでメールが送れるようになって、人類の技術の終点が来たと言われたが、今では想像もできなかったようなすごい世界になっている。

そして、また、現代の「常識」もいつかは「非常識」になるのであろう。


だから、
僕たちは「常識」に縛られていてはダメだ。
常に「常識」を疑わなくてはいけない。
これは本当に正しいのか?
もっと便利にならないものだろうか?

そして、
僕たちは常に情報にアクセスしていかなくてはいけない。
流れてくるのを待っていてはダメだ。
流れてきた頃には取り残されてしまう。
自分から取りに行かなくては。


「常識」を疑い、
情報にアクセスし、
検証し、
結果を積み重ねていく。

これができる人間が「新しい常識」を作っていく。



なんかうまくまとまらずに
伝わるか不安だが、
これだけは。


どうか、
流されず、
自分の人生を送って欲しい。



僕は、常識に流されず、
常識と非常識の間で生きていきたい。
自分の人生を、自分の時間を、生きていく。



次回はもう少しうまく書けるように、勉強してきます。

ではっ!!







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