総武線は僕を連れて
「すみません、水道橋ってどっちの電車に乗ればいいんですか?」
御茶ノ水駅のホームで10歳くらいの男子を連れた女性に尋ねられた。イヤホンをしている僕に話しかけてくるあたり、本当に困っているんだろうなと思う。平日に水道橋か。何でだろう。そんなことより
「あー水道橋ですよね、えーっと、水道橋はたぶん(1番線)ですね。」「あー1番線!ありがとうございました!」
昔から、券売機の前やホームで話しかけられるタイプだ。大体年に5回くらい話しかけられて、ある時は老人、またある時に外国人と様々な「迷い子」が僕に助けを求めてくる。
僕は全く都会的なルックスではないし、「東京23区の事なら何でも聞いて!!」みたいな顔をしているはずもない。東京西部・多摩エリアに居を構える限界独身男性、それが僕のステータス。今日も使い古された消しゴムのような髪型をしている。
初対面の人との会話について話したい。
初対面との会話で、僕は会話のスムーズさと、内容の正確さのどちらをとるべきかをいつも悩んでしまう。
スムーズさを優先すると、知らない事でも「わかる!いいですよねー!」と合わせてしまいあとで後悔する。
僕は大体このタイプで、スムーズさを優先してしまうことが多い。接客業をしていた時期はほぼ毎日このタイプで話していた。こうすれば相手は気分よく話してくれるし、僕の印象も悪くはならない。政治の話をされても「そうですよね、確かに」と答え、興味のないことも「興味があります!」という顔で話した結果、お客様が運営する生け花教室に入学しそうになったこともあった。
逆に正確さを優先すると会話は波に乗らない。
「それ違います、こっちですかね。」「あ、それは僕よくわからないんです…。」まるでシャーペンの芯を頻繁に折りながら文章を書くようで、芯を出せば書けるけど滑らかさを失っている。結果、文章基い会話は、拙く短く淡泊なものになる。ただし嘘はないので、相手に過剰な期待をさせることもない。最悪のケースになっても、ただ単に「こいつなんも知らんな」と思われておしまいなだけだ。
すみません、その質問には答えられません。
なんでSIRIには許されて、僕には許されないんだろう。
そんな憤りをもっても仕方ないけど、会話の難しさがもたらす疑問だと思う。リアクションを期待されても困る、だけど期待に応えたい気持ちもある。だから話を盛ることもあるし、相手を傷つけない小さい嘘もつく。
僕がそうするように、相手だって本当はそうなのかもしれない。天気の事なんて興味ないし、4月だからって桜なんて見に行かない。誰もがプロ野球の開幕戦を待ち望んでいるわけではないのだ。
会話のキャッチボールという言葉は、いかにも日本のスポーツ=野球だった時代が作った言葉だと思う。会話のグラウンダーパス、会話のFF外から失礼します、会話のシャカパチタイムでもいいじゃないか。シャカパチは良くはないか。
言葉というボールを相手が取りやすいように投げましょう。ということが趣旨なんだと思う。だが問題はあっちがイチローモデルのグラブを付けているのに、こっちは素手だということ。いくらキャッチボールだと言えども、グラブがないと痛いしキャッチできない。取るたびに「いってぇ…」というのもなんだし、痛さを押し殺して「ナイスボール!」というのも限界がある。
話がそれた。きっと会話が上手な人は、話のスムーズさと正確さのバランスがいいんだろう。きっとそうに決まってる。
生まれもっての人たらしも、この絶妙なバランスで人の懐に入っていくのだ。そしてそんなプロみたいな所作、誰しもができる事ではない。
初対面はお互い様。そういうことでいいかもと思う。きっとこれはSIRIには許されないことだし。
そんなことを考えていたら、乗るべき電車が来た。そういえば水道橋までここから何駅だったのか。乗換案内を見てみる。
なんだ、1駅だったのか。
<御茶ノ水→水道橋> 総武線(2番線)所要時間:2分
やってしまった。
やっぱりスムーズさを選択しすぎちゃいけないんだよ。
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