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「多様性(笑)の時代」のお話

あのちゃんって

突然ですが、昨日からこの動画にドはまりしています。

あのちゃん。まじで感銘。彼女は本物のアーティストですね。もう昨日から50回以上聴いております。ゲゲゲロゲロチュー♪ってね。

さて、今日は巷で話題の「多様性」についてのお話をしたいと思います。僕は専門家ではないので学術的な話ではなく、このテーマにまつわる僕のモヤモヤを吐き出す感じになると思います。

「多様性の時代、ダイバーシティ」という言葉。

端的にまとめると、「ある集団の中に異なる特徴・特性を持つ人がともに存在すること」となるようです。
難しい言葉なので、僕は、『教室にいる生徒皆が右を向いているときに、左を向いている人が1人いるとします。過去の価値観であれば、「あなたも右を向きなさい!」とされていたところですが、現代では「左をむいてもいいじゃん、君もクラスメイトよ」』っていうことだと、理解しています。

冒頭で取り上げたあのちゃん(ano)は、おそらく「多様性のアイコン」として認知されているんでしょう。それを納得できるほど、彼女の才能は突出しています。

世の中は、第二のあのちゃんを目指したいと思い、それによってアイデンティティが守られる人が多いと思います。当然僕にも自分らしくいれる場所を求めるときはありますし、それだけ社会という教室は、らしさ、特異性を削ぐ環境なんだろうと実感しているところです。

僕は学生時代、メインストリームに乗って過ごしたことがありません。みんなと同じく学校にはいきましたが、所謂スクールカースト上位の人との関係は皆無でしたし、みんなでワーッと群れたり、流行りを追いかけること、長いものに巻かれることができなかった記憶があります。常に少人数か1人で過ごし、自分の欲求を満たすものは教室の外にありました。

だからこそ、大学生活は楽しかった。自分の思ったように過ごして、付き合いたい人と付き合って、時に意見をぶつけ合いながらもコミュニティを構築できたことが、僕にとっては延命措置になりました。何より、自分を否定されない空気というものがこんなにも心地いいとは思っていなかったのです。残存する友達の90%が大学時代の友達なのも、納得できます。

やっと訪れた「多様性が求められる時代」。さぞかし暮らしやすい世界になるのだろうな。と思っていました。

理想と現実

人々が思っていること、
考えることをリアルタイムで知れるのが、SNSです。

これだけ多様性が謳われるんだから、いろんな人がいてOKなはず。きっとSNSは現代のユートピアがあるはずです!

しかし現実はそうではありません。

何か異質な発言をすると、それに対し、正論が投げかけられ、法律や常識、教科書倫理的に正しい完全無欠の意見が超必殺技を繰り出しまくっています。不思議なのが、いついかなる時もこの必殺技を繰り出す人が勝者になっていることで、おそらくその意見はアイデンティティを表すものではなく、「社会では」という主語が付くものばかり。せめてあなたの意見であればいいものの、「〇〇というのが常識のようです」みたいな意見が勝者となっています。

そもそも勝者のような認定がなされることが、多様性という価値観とマッチしていない気もしますが、現実は、多くの共感を得たり、完全無欠の意見を持つことがトータル素晴らしい!ことのようです。

これでは、僕の学生時代と同じです。現実はユートピアでもディストピアでもなく、なんにも変わっていないなと思います。

身近な多様性

多様性ってこれかな?と唯一感じられるもの。
それは僕のパートナーです。

彼女が属する世界は、特異な人がたくさんいます。勉強はできるのにコミュニケーションがマジで取れない人、物事をフローチャートにしないと理解できない人、絶対に朝起きれない人、実際に発達障害である人、自分が信じる宗教の布教をしまくる人。彼女は自分の職場を「動物園」と言っていました。彼女自身も「私に会社員は無理。決められた時間に行動できない」と言っています。それが病気であろうとなかろうと、いろいろな人がいるらしいです。

いろいろなエピソードを聞く中で、僕は彼女に、「なんで組織として成り立ってるの?崩壊してるんじゃないの?」と尋ねたことがあります。

実際はちゃんと組織として成り立っている理由。
返ってきた答えにその年最大の「なるほど」が口から出ました。

「干渉しないことが不文律としてあるから」

相手の振る舞い、言動一つ一つに干渉するから、合う合わないが出てくるし、淘汰する・される関係が発生する。あの人は別の事をしている、別の価値観を持っている。それが良いね!と思えば、自分のレベルで共感する。いいと思わなくて、自分に害がなければそっとしておけばいいだけ。

マジでそうだなと思いました。SNSを見ても、共感できないシーンをスルー出来ずに、「駄目だと思います!嫌いです!」みたいな反対意見を残していく人がいます。よほど突き抜けた個性を持てない限り、こんな状況で意見をし続けるのは難しいです。そうして徐々にフェードアウトしていく人が増え、面白くない場所になっていくんだろうなと想像しました。

最終的には何の面白みのない、「画一性な意見」が残っていく。多様に発言できる場所なのに、この有様は何とも皮肉です。

結局のところ

結局のところ、多様性とは「特異を認め共感すること」と「干渉しないこと」の両方が必要だと思います。

「みんな違ってみんないい」に加えて、「あの人違うけど、別にそれでもいいじゃん?」っていうラフさがあれば、世の中もっとファジーで過ごしやすくなるのかなと思いました。

秩序とのバランスをとりながら、
本当の多様性が広がればいいなと思います。

週末はパートナーと久しぶりに出かける予定です。まだどこに行くかも、そもそも出かけるのかも決まっていません。最悪会わないこともありそうな雰囲気です。

長年連れ添っているので仲は良いですが、
まあそれも、多様性ってことで。




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