「乾杯!」を分析した話。
「乾杯!」
これから楽しい時間が始まるぞ!という合図でもあり、そうかと思えば、地獄の幕開けを告げる怒号でもある言葉。それが「乾杯」。
家族と久しぶりに会った時の安心感のある乾杯もいいし、恋人と会った時の幸せな乾杯もいい。
それにしても昨日はとてもいい乾杯ができた。
僕は物事を無意味に分析し、共通点を見つけたり、定義づけをする癖があって、今日もその発作が起こっている。
いい乾杯とはなんだろうか。
グラスはどれが最適か、飲み物は何にすべきか、いったい何人で乾杯するのが適切なのか、グラスの角度は?温度は?…
いつものように要件定義を始めてみたが、一向に共通点が見つからない。なんせ昨日の乾杯は、「プラスチックのコップ」で「1リットル1,000円の激安ワイン」「ジュース」「ビール」で執り行われていて、僕はそれを、個人的には華やか且つ厳かな、いい乾杯だったと評価している。
お酒を飲み始めた頃、僕の理想の乾杯は、バカラのグラスにエロいウイスキーを注いで、目線とクイッとグラスを持ち上げる乾杯で、これができる大人が最高だと思っていた。(そもそもバカラのグラスにウイスキーを注ぐべきかは知らない。)
そんな僕は、30代の半ばに差し掛かった。
これまで、社長を囲む会的なしんどいイベントで乾杯の挨拶を仰せつかったこともあるし、父の還暦祝いに日本酒を片手に乾杯したこともある。大人になるにつれて、乾杯の数は増えた。いい乾杯も、悪い乾杯も。唯一したことがないのが、一人での乾杯だ。厳密にいうと心の中で「お疲れ僕、乾杯」と唱えることはあるが、声に出したことはない。
乾杯には、相手が必要だ。じゃあ誰とする乾杯がいいのか。
答えが見えてきた気がするが、結局は誰とするかで決まるんだろう。安酒でもいい乾杯なのは、きっと相手がよかったからだ。じゃあ相手のなにが良かったのか。
結論からいうと、相手との距離感が良かったのだと思う。相手への信頼や相手との共通点などを全てひっくるめて、距離感という言葉で表現すると、その距離感は近いほうがいいようだ。立場的に距離が近いことが必ずしもいい乾杯をもたらさないことも、これで説明がつく。仲良くない親族より、仲のいい出会って1年の友達のほうがいい乾杯ができるわけだし。
それを踏まえてもう一度昨日の乾杯を思い出す。やはり昨日はとてもいい乾杯できた。そして、きっと今後もいい乾杯ができそうだということも付け加えておこうと思う。
グラスの距離と心の距離が重なるとき、
きっと最高の乾杯があるのだろう。
僕の癖が落ち着いてきたので、この辺でこの無意味な分析はおしまいにしよう。なお、昨日の競馬は完敗だった。なんて素敵な月曜日だろう。
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