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精神疾患を抱えた母との体験の一部。

である調である。
そして、長いのである。


私の母親はうつ病を抱えている。
いわゆる精神障害者だ。
でも、その前に「私の母親」なのだ。

体験の欠片を文字にする。

ある日、父と母の口論の末、母親がリストカットした場面と遭遇した。その時は何が起こっているのか頭の整理が出来ず、なんとか発せた「なんで?」という私の問いに「大丈夫」と満足のいかない答えが父から返ってきたことを憶えている。その後、サイレンを鳴らさず救急車が来てくれたこと、救急車の中で処置をしてすぐに帰ってきたことは薄っすら覚えているが、自分の部屋に戻って眠れたのか、次の日に学校に行けたのかは全く思い出せない。あの日の夜、母親がなぜ自分を傷つけるに至ったのかは、15年経った今でも聞けていない。

それから、母親は具合が悪くなった。私が中学2年生の頃だっただろうか。
具合が悪くなったと言っても、具体的には「笑顔が減った」「元気がない気がする」程度で、病気や障害という意識は全くなかった。ただ、仕事に行けなくなり、リビングで寝ている時間が長くなったり、ちゃんとした夜ご飯が作れず「適当でいいかな?」と聞かれることも多くなった。母は適当なご飯と言うが、私はそんな母親の手料理が好きだった。私が母の代わりに家事を担うこともほとんどなく、病気を抱えた中、母なりに頑張ってくれていたのだと思う。

母が抱えていた不安は主に経済的なもの。
「お金がなくなり生活できなくなるかも知れない」という不安を抱えての生活は苦しいものだったと思う。他にも漠然とした不安や心配に押しつぶされそうになりながらも、母親として弱みを見せないよう頑張っていることも、母の性格を考えれば自然と分かった。

そんな母に、私が出来たことは「母の話を聞く」ということだった。
それ“だけ”だったのかも知れない。
母の抱える経済的な不安に、中学生の私は何も出来ず、ただ話を聞くだけ。
漠然とした不安、父親への不信感、将来の心配など、ただただ聞くだけだった。
もちろん、話を聞くだけでは何も解決しないのだが、母が抱えているものを少しでも吐き出させてあげたかった。そして、何をどう不安に感じているのか、知っていたかった。
母の為でもあり、自分の為でもあったのかもしれない。
同時に、無力な自分も知ることとなった。

思い出しながら思い出せた。

文章を書き進める中で、思い出した事がある。

病気になる前の母親は、明るく前向きで元気な人だった。
小さい頃、学校で嫌な思いをして泣きながら帰った時「ママとお姉ちゃんが居ればいいじゃん!」と励ましてくれた事を鮮明に覚えている。母と姉が「ずっと味方でいてくれる」という安心感を、小さい頃から色々な場面で感じさせてくれていた。
それでも本当にたまに、母が泣いていることがあった。
私が関係のないことだったとしても、母親が泣いているのを見ると自然と涙が出た。
母親が悲しんでいる姿が悲しく、つられて泣いていたのだと思う。

小さい頃に限らず中学生になってからも。同じ様に母の涙につられて泣いてしまうことがあった。
母の具合が悪くなって、泣く頻度が多くなってからも同じことが続いた。
でも、母の話を聞くことが当たり前になってくると、私の涙は出なくなっていった。
母の悲しんでいる姿に慣れてしまったのだ。

明るく元気な母。
居てくれるだけで安心感を与えてくれる母。
子どもを第一に考えてくれる、大切な母。

そんな母から、私が“守らなければいけない母”にいつしか変わってしまった。
親への気持ちの変化も、そう簡単な話ではない。
いつかそんなことを題材に記事を書こうと思うが、今回は私が担ってきた事に絞って振り返る。

「話を聞くこと」って。

話を聞くことはとても大変である。

楽しい話を聞く分には問題ないのだが、不安なことや心配なことばかりを聞いていると、自分の気持ちもどんより雲がかかっていく。それだけ母親の抱えているものが多いのだとは思うが、子どもながらにキツイものがあった。
母親への優しい気持ちから始まった「話を聞く」ことだったが、徐々に聞きたくない気持ちや面倒臭いといった気持ちが芽生えていった。

私が話を聞かなかったら母親はどうなっていただろうか。
大人になった私が振り返れば、「自分を犠牲にしてまで話を聞く必要はない。」「話を聞かなかったとしても、どうにかなる」と判断できるが、当時はそんな判断も出来ず、ただ自分ができることを続けるしかなかったのだ。
幸いにも私は爆発することなく母の話を聞き続けることが出来たが、私の心に余裕はなかったと思う。
自分の気持ちを尊重することは大切なことだと思う。ただ、天秤にかける相手が大切な人だった場合、適切な傾きにならない場合もある。言ってしまえば適切な傾きがどちらかも難しい問題である。
私が子どもの頃に判断して、とってきた行動に後悔はない。
ただ、辛くなかったとは言えない。
世の中の子どもが同じ状況になったら、自分の気持ちに気づき、自分を大切にする選択をとって欲しいとも思う。
どんな選択だろうと、悩み抜いて辿り着いた選択は素晴らしいものである。

振り返り、大切なことをまとめる。

「自分を優先するのか大切な人を優先するのか」も大きな課題ではあるが、私の体験の中には私と母しか登場しない。客観的に見れば、周りに大人はいなかったのか、頼れる人がいなかったのか、と我ながら疑問に思うが、当時の私にそんな広い視野はなかった。
目の前の困っている大切な母親しか見えてなく、直面したことしか考えられなかった。

個人的な意見だが、子どもってそんなものだと思う。

「周りに相談を!SOSの発信を!サインを出して!」と大人は言うが、簡単なことではない。大人の感覚で子どもを守ろうとすると、子どもにとって難しい要求をしてしまうことがある。私自身も気をつけなければならないが、大人から先に動き出し、歩み寄ることを忘れてはいけないと思っている。シンプルで大切なことだが、とても大変なことである。

そして何より大切なことは、私は母親の事が好きということ。
客観的に見れば、私は大変な経験をしてきたのかもしれない。
“普通”の親子関係ではなかったかもしれない。
それでも母のことを大切に思う気持ちは今でも変わっていない。
どうか、母親を「弱い人だ」と「子どもに迷惑をかける親だ」と「加害者だ」と言わないで欲しい。

母親も子どももどちらも、生きていくということは大変なことなのだから。


(長々と読んでくれて感謝である)

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