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『おかげさま』 と 『お互いさま』

フリーランスと働いて長いのですが、

私の想っていることを書いてみようかな。


あなたにとって、ビジネスってどのような認識なんでしょう?


・お金を稼ぐこと??

・自由に働くために独立しました??

・人間関係に疲れたから一人でやりたい??

・会社に縛られたくない??


基本的には、自分にとって嫌なことを避けるために、独立をしてビジネスをしているってことになる人が多いかな。私もその一人でした。


長年、フリーランスとして働くと感じることがあります。


それがタイトルの『おかげさま』と『お互いさま』。


『おかげさま』


この『おかげさま』というのは、私の今までの経緯をお話しすると、より具体的でイメージできるかもしれませんので、今までの経緯をお話ししたいと思います。


私は高校生あたりから、将来は独立しよう!って決めてました。その時は何をするかなんてことは何も考えてませんでした。


進学はどうする?となった時、3つの選択肢が浮かびました。

1. 栄養士の学科に進む

2. シンガーソングライターの道に進む

3. スポーツトレーナーの学科に進む


いずれも、オープンキャンパスに行って、実際に体験をしてきました。


栄養士の道は、実際に楽しかったけど、すでに多くの人が職業にして「できる人」が多かった。であれば、将来栄養に関する相談が必要な時は栄養士の人にお願いをすればいいや、って思ったのです。料理は嫌いではないし、今でも自炊してますよ。(大したものは作ってませんが)


ということで、栄養士は却下。


シンガーソングライターの道ですが、音楽の道はとても好きで、小学生の高学年からエレクトーンをしたり、中学生の頃からギターをやり始めたりしてました。その流れで音楽を仕事にできたら最高だけど、趣味でいいかな、って思いました。今でもギターは趣味で弾いてます。鍵盤は全然触ってないので、練習しないと弾けないな〜。


ということで、音楽の道も却下。


残るはスポーツトレーナーの道。幼少期からアトピー性皮膚炎だったり、いろんなアレルギーがあったり、喘息があったり、毎年インフルエンザにかかるような子でした。風邪もよくひいてました。だからこそ「健康」には人一倍気を遣うのかな?と思います。


あとは、テレビでスポーツ選手のケガの報道の多さが目立ってました。体が資本のスポーツ選手にとってケガは死活問題に値します。その時、なぜか自分の健康とスポーツ選手のケガがマッチしました。自分自身、運動は嫌いではなかったですし、健康には運動はつきものかなって思ってました。それと、スポーツトレーナー科では「栄養学」も勉強できるということもあって、スポーツトレーナー科を専攻することにしました。


専門学校では専門的な知識と技術をつけるための基礎は勉強できました。まだまだ独立するには不安要素満載です。スポーツトレーナーとしてやっていくなら、まずはケガのことを知り、短時間で応急処置ができるようにしないと!なんて思い、整骨院で働くことに。


一つの整骨院で決めていたのですが、気づいたら、もう一つ整骨院と整形外科でも働いていました。掛け持ちです。一年間続けました。


一つは、プロのスポーツ選手に対して、本格的にトレーナーとしてお仕事をしてらっしゃる方のところの整骨院。


一つは、足に特化した整骨院で、アメリカの足病医学(Podiatric Medicine)の博士を日本に招いて、カリキュラムを受講し、日本での採型と処方の認可を受けた先生。実際にインソールの製作はアメリカに送って作ってもらい、再度日本に送ってもらう、ということをしていました。ただし、出来上がりまでに約2ヶ月かかってました。


整形外科は、足に特化した整骨院の先生が知っているところで、「整形でも勉強してこい」と言われ、働かせていただいたクリニック。


こちらの3つ掛け持ちを1年間勤めた後、一つに絞ろうと思い、どこにしようか考えました。


もともとやりたかった仕事と考えると、スポーツトレーナーに特化している整骨院が有力でしょう。でも少し考えました。


何をどう考えたのか?


足に特化した整骨院が気になったのです。アメリカの足病医学を学び、実際にインソールを作るための採型をし、どのように作ってもらおうか処方ができたのです。


16年前はまだまだ日本ではスポーツトレーナーはマイナーでした。しかしインソールはもっとマイナーでした。どちらも認知度がありませんでしたが、スポーツトレーナーとしてというより、スポーツ選手のコンディショニングだったり、アスリハ(アスレティック・リハビリテーション)をメインにやっていける方がいいな、と思ったのです。


そこで、インソールが魅力的でした。


『インソールを自分で作って、納期をもっと早くして、コンディショニングの一助をできないだろうか?』と考えたのです。その時21歳です。


当時、日本ではスポーツ用としてはまだまだ認知度が低く、主に医療用という観点でした。


整骨院で、整骨院にあるビデオや本を片っ端から読み漁り、インソールの製作ができるところがないか、学びと並行して探しました。


インソールの製作に関して、日本ではツテがない状態でしたので、就職のことを考えて、専門学校で探しました。学校ではあくまで基礎が学べるとわかっていましたから、卒業後は一度どこかで働かせてもらいながら、技術を磨き、ついでに経営も学ぼうと考えました。


結局、その整骨院には6年いました。6年間も学ばせていただきました。今思えば、『おかげさま』で整体からケガの治療、インソール用の採型、計測方法等習得しました。今のスタイルの基礎を形成しました。


次は靴屋さんです。


再度専門学校へ行き、卒業後は靴屋さんにて働きました。当時28歳。


30歳で独立する!という考えでいましたが、結局32歳までいました。というのもインソールは作れても、出来上がりにバラツキがあったので、まだだな〜と思い、納得するまで辞めずに頑張りました。後、仕事が楽しかったのです。いつも夜遅くまでお店で作ってました。


『おかげさま』で技術の習得も早かったと思います。試行錯誤しながら、良い方法を模索しました。技術のみならず、材料の調達に商店の方々とも仲良くさせてもらいました。


『おかげさま』で今の私ができました。『おかげさま』って自分の成長のために相手は「時間」と「お金」を費やしてくださってます。好意があるかないかに関わらず。


場所によっては、社員を「駒」のようにする上司もいるかもしません。私ももしかしたら駒のように使われてたのかもしれません。それも受け取り方次第だと思います。


もし、駒のように使われてたとしても、私は私自身の成長のためにやっていることなので、むしろやらせてくれるのは有難い!と思ってました。上司が自ら進んでやってしまい、部下の出る場面が少なくなると、部下の成長が止まります。


『おかげさま』で私は今まで生きてこれました。『おかげさま』でフリーランスとして食っていけております。これからは『おかげさま』で、と言われる人になれるように、他者に時間とお金を使ってあげたいですね。


『お互いさま』


「お困りごとはビジネスで解決をする」というのが、この資本主義の仕組みです。資本主義の仕組みを介さなかったらどうなるか?


人間、というか動植物全般、食(栄養)がなければ生きていけません。饑餓状態になり、生命が絶たれます。


動物は弱肉強食の世界で、自分の食は自分で狩りをして、食を得ます。狩ができなければ、終了です。自分の分は自分でなんとかする、という精神なので、これ以上発展がありません。


人間も古代はそうだったと思います。しかし米の収穫ができる、保存方法を知る、調理を知る、道具を作る、、、といつしか文明が発達し、小さなコミュニティ、家族だけの群れが集落となり、いつしか村ができ、統率の仕組みができました。


それぞれ役割分担が出てきて、食材を作って収穫する人、それを集めて街まで運ぶ人、販売する人、調理する人、道具を作る人、、、というように『職』が増えてきました。これを全部一人でするか、役割分担をして、それぞれ特化させて『専門職』にするか。どっちが発展しますか?


専門職ですね。


私は主に健康を仕事にしています。それは健康であってこそ、自分の仕事に集中できるということ。健康であってこそ、やりたいことができるということ。健康であってこそ、豊かさを得られやすいということ。


健康は最終目標ではないですが、最終目標に達するためには自己管理の一つとして「健康」は必須だと言えます。


私は健康のアドバイスと運動のコントロールとしてボディケアとインソール、靴等サービスを提供しています。


健康のために必要な栄養の「アドバイス」はできても、生産はしていません。調理して提供もしていません。


私自身、何か食べたいな〜と思って、食材を一から自分で生産をしていません。食がないのは私にとってお困りごとです。だからお金を払って、食材を買います。


生産者は肉体労働をしています。毎朝早くから活動をして、自然相手に世話をして、丹精込めて栄養価が高くなるように良いものを作っています。体を癒したり、履物から少しでも体の負担を軽くさせることは可能です。しかし生産者はインソールを作ることできません。学ぶ時間もありません。


体の負担のお困りごとはお金を払って、私に依頼が来ます。お困りごとはビジネスで解決するというのはこういうことです。


その人の仕事で必要なもの、気分転換の娯楽など「何かないかな〜」に応えるのがビジネスになり得るものです。


『困った時はお互いさま』なのです。


お金を稼ぐということは悪いことでもなんでもありません。汚いものでもありません。人間が勝手に便宜上、あった方がいいんじゃね?ってことで第3者を作っちゃった、というのが正しいかもしれません。そもそもこの世に存在してなかったこと。人はこの世に存在してなかったものをどんどん作っています。


現代はそういったものがどんどん溢れています。お金、法律、社会的ルール、常識、噂、権威、、、なかったものが作られているのです。


話が逸れるのでこれ以上は突き詰めませんが、翻弄されないように気をつけてくださいね。


なんでもそうですが、モノの開発、ルールなどの仕組みは人が相手を想う気持ちがあってこそのものであってほしいですね。


相手が困っているなら、助けてあげる。

自分が困っているなら、助けてもらう。


そう。『お互いさま』です。


どんなにモノや仕組みが発展しても、本質は普遍的なものです。普遍的なものはとてもシンプル。


シンプルなものは化けの皮を剥がす余地がないくらいなので、誤魔化しがききません。


誤魔化そうとすると、皮がありますから、その皮を剥がされた時、信用をなくし、頼ってくれなくなります。


なんだかんだで、人は助け合いながら、ここまで発展してきました。これからもそうなるでしょう。


AIが発達することで、人間の重労働による肉体的負担から解放されます。やっと人間が人間らしい生活ができる日が来ます。


長い長い資本主義の呪縛に翻弄され、時間ー経済ー健康が脅かされてきました。


「仕事がなくなるー!」ではなく、「仕事が自由になるー♬」です。


「仕事無くなって困るー!」という人はご連絡ください。仕事はいくらでもありますから。


困った時はお互いさまです。みんなで自由になりましょう。ただし、自由になるためには「力」が必要です。一人ひとりの「力」もそうですが、人が集まった時の「力」はスケールメリットと言って、指数関数的に増大します。


個人の自由はみんなの力、みんなの自由は個々の力。やっぱり『お互いさま』ですね。

サポートをお願いいたします!活動費に充てさせて頂き、身体的な健康、足でお困りの方に還元させて頂きます。