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音楽に生活を支配させる

 久々に部屋の大掃除をした。もう着ない服を捨てて、段ボールを縛って、排水口の掃除もした。これはすごい。褒め称えられるべき。私も大掃除をする人を褒め称えます。

 手持ち無沙汰(耳無沙汰?)なので作業中は音楽をかける。掃除中にかけるのは、植村花菜の『トイレの神様』が多い。これを聞くと「掃除するぞ!」という気分になる。きっと小学校の掃除の時間にこの曲が放送で流れていたからだ。掃除の時間の20分ほど、この曲が永遠に、繰り返し繰り返し流れていた。よく発狂しなかったなと思う。しかし、トイレの神様=掃除というパブロフの犬のような条件反射が身についてしまった。

 私の行動には音楽に条件付けられたものが多い。お風呂に入るときにはいつも米津玄師のアルバム『STRAY SHEEP』を流している。一曲目の『カムパネルラ』で化粧を落とし、『Flamingo』でシャンプー、『感電』でリンス。なんやかんやあって、だいたい『まちがいさがし』が流れる頃にシャワー終了。私には考え事をしだすと永遠に同じ作業をしてしまう悪癖があるので、曲でだいたいの行動を定めることによって永遠に洗顔料を泡立て続けるような行動を防げる。音楽が流れると意識がそっちにいってあまり考え事しないし。 音楽によって行動を支配させる。だけどそれを指示するのは自分の意思。間接統治だ。間接統治か?

 だけど、こういう音楽の使い方って良くないなって思う。音楽は片手間に消費するものじゃなくて、ゆっくり味わうべきものなんじゃないのか。ソファにゆったり腰を掛けて、レコードで音楽をかけながらじっと耳を傾けるみたいな。そんな向き合い方が正しいんじゃないのかって思う。せっかく作ってくれた物だしね。工場で機械的に生産されたジャンクフードとは違うものじゃないのかって考えている。考えているだけで、実際に行動に移すことはない。しかし、ひとりひとりの楽しみ方があって良いじゃないかというような、相対主義的な物言いはしたくない。正しいとかはないはずなんだけどね。クラシック音楽ももともとはながら聞きのために作られたものだし。

 音楽の消費が手頃になってしまったからか、あまりライブというものに興味がない。行けば楽しいんだろうけど、自分から行こうと思えない。昔父に連れられてサザンオールスターズのライブに行ったことがあった。ライブが始まる前から会場は熱気で溢れていて、勝手にウェーブが始まったりしてた。どうにもそれが気持ち悪くて、5曲目くらいで退出してしまった。私はデモとか行けないタイプなんだろうな。単純に人酔いしただけのような気もする。

 サカナクションのライブには行ってみたいなと思う。なまら音響が良いらしいですね。音にそこまでこだわりはないけど、一度くらいは体験してみたい。ライブをバンジージャンプみたいな扱いにして良いのかとも思うけど、正解なんてないし。

 とりとめがなくなってきたので今回はここらへんで。それでは!

 

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