ざっくり!オランダのスーパースター『レンブラント』を語る!

つい最近、大好きな画家の1人である「レンブラント・ファン・レイン」の代表作「夜警」が、AIによりオリジナル構図に復元されたとのニュースがありました。

この記事を読んで、レンブラントって名前は知っているけど、どんな人なの?とか、レンブラントについて知りたいけど、自分で調べるのが面倒くさい人向けに、ざっくり、私が学んだレンブラントについて書きたいと思います!(私自身、専門家ではないので、誤りがあるかもしれませんが、ご了承ください)

レンブラントは、「バロック」といわれる時代のオランダの画家です。

レンブラントの紹介をする前に、「バロック」について簡単に紹介します。バロックというのは「いびつな真珠」という意味でして、ルネサンス時代の絵画の特徴が、バランス重視、理想的なものを追求していたのに対して、バロック絵画は、やりすぎ表現(人体も不自然に伸びていたり、背景の明暗対比が劇的であったり・・)を特徴としています。※ルネサンス時代は、レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロに代表される正確無比な人体表現、遠近法を多く用いています。

ちなみに、このやりすぎ表現の代表作の1つが、パルミジャニーノ作「首長の聖母」(ウフィツィ美術館所蔵)

赤ちゃんを抱いている女性(聖母)なんて首長すぎるし、赤ちゃん(キリスト)なんて不自然な四肢、顔もチアノーゼ状態だし・・・画像右下の坊主の人の遠近感おかしいし、、、と、色々ツッコミどころな、やりすぎの絵画がバロック絵画となります。

レンブラントはこのバロック時代(後期)に活躍した画家で、明暗対比が得意で、感情表現が素晴らしいオランダのスーパースターです。
(小話:バロック前期で活躍したのは、カラヴァッジョ。劇的な明暗表現(テネブリズム)、リアリズムを追求した天才画家。でも、暴れん坊将軍で、喧嘩日常茶飯事。しまいには、殺人まで犯してしまう)

レンブラントが生きた時代のオランダは、海上貿易で経済が発展し、宗主国スペインから独立を果たし、市民階級が力を持ち始めていた時代でした。

この時代までの絵画というのは、力を持った貴族や教会が画家に「この主題(主に宗教画)で描いて」と注文し、その注文通りに絵を描くことが基本とされていました。
(小話:レオナルド・ダ・ビンチは、注文/契約を生涯守ることなく、たくさん裁判を起こされている問題児)

そんな中、オランダは市民階級がお金を持ち始め、宗教画ではなく、もっとわかりやすいものだったり、市民の生活を表現したものであったり、より市民たちに馴染みのある主題が求められるようになりました。その中でも「肖像画」がとりわけ人気でした。
(小話:他には風景画、寓意画など、ルネサンス時代では、格が低いとされていた、絵画のジャンルがこの時代より描かれるようになっていきます)

そんな中、当時としては革新的な「肖像画」でカリスマ的な人気を得ていたのが、レンブラントです。そんな彼の出世作「テュルプ博士の解剖学講義」

これは何が凄かったかというと、「シチュエーションつき集団肖像画」であること。これまでの肖像画といえば、無表情で、正面、もしくは3/4斜めを向いた静止したものでした。レンブラントは、その肖像画に、あたかもある場面を切り取ったかのような、感情表現豊かな人物たちを描きました。これが当時のオランダ市民にヒットし、この絵を機に、レンブラントはたちまち有名になり、注文もたくさんくるようになりました。
(小話:この絵は、大学の講義ではなく、外科医組合の講義の場面。また、集団肖像画は、それぞれがお金を出しあって、描いてもらうもの)

この絵を描いたときに、結婚したり、お家を買ったり、美術品を収集したり、、、幸せな時間を過ごしていました。
(小話:お家はローンで購入。当時の価格で約1億円。見た目、え、これで1億円?レベル。この家は、現在、美術館として存在しています。)

次男も生まれ、なんとか成長(※)し、幸せの絶頂のときに発表されたのが当時の自警団からの注文で書いた「夜警」
(小話:長男然り、息子、娘は病気でなくなったり、と家族運には恵まれなかった。最初の奥さんも29歳で他界)

今ではオランダの至宝と言われるほどの名画であるが、発表当初は、注文主から大クレームに。
その理由として「シチュエーションをつけすぎた」こと。
自警団の皆さんは結構な金額を払ったにもかかわらず、横顔の人がいたり、小さかったり、と「なんで高いお金払ったのに、わしは小さいんや!」「顔隠れてるやないか!」「なんなら、こっち向いている女性は誰やねん!関係ないやないか!」と、クレームの嵐。
(小話:この女性は、火縄銃自警団の女神。よく見ると女性は、鶏の足を持っていて、その鶏の足が、当時の火縄銃のシンボルであった。また、この女性は、レンブラントの奥さん似とも言われている)

この作品を機に、だんだん注文が減ってしまい、収入に困り、ローンの返済にも困り、借金まみれになっていきました。
(小話:収集していた美術品も売却したが、全く金にならず・・・だめなコレクターでした。最終的には、お家も売却されました)

そんな転落しながらも、レンブラントは絵を描くことをやめず、より感情表現豊かで、精神性と味わいの深い傑作を生み続けます。

数々ある傑作のうち今回紹介したい2つの絵のうち、
1つ目が「ユダヤの花嫁」

顔の表情から優しや、慈しみが表現され、またそれぞれの人物から、うちからの光を発しているかのような表現。また、当時の絵画ではタブーとされていた、筆の跡を残す、超厚塗の技法で描かれています。(当時の絵画は、筆の跡は残すことは、絵が下手である、という流れがありました。この流れが押し進むと、印象主義などの近代絵画に繋がっていきます)

男性はレンブラント自身、女性は奥さんを、ユダヤ教を主題にのせて、自画像として描いたかもしれません。
(小話:この絵を見たゴッホは「この絵を1週間見続けることができるなら、10年寿命が縮んでも惜しくない ” 」と言ったという逸話も残されています。ゴッホの画風も、筆の跡があり、超厚塗です。)

もう1枚、紹介したいのが「家族の肖像」

こちらは1668年に書かれた集団肖像画で、ある注文主より依頼された絵画となります。(レンブラントは翌年1669年に死去)
依頼主は不明らしいですが、この絵の中にいる家族は、
家族運に恵まれなかったレンブラントの理想の家庭像(※)が描かれていると言われていて、その背景を知ると、なんだか感慨深い絵です。
(私はこの背景を知ってこの絵を見たら、泣きそうになりました)
※レンブラントの家族は、子供3人のうち、2人は生まれてすぐに亡くなっていまい、奥さんも若くして亡くなり、、、次男もなんとか27歳生きたが、その後急逝。晩年は1人で過ごしていました)

もっともっと、レンブラントについて紹介したいところ、エピソードがありますが、本日は、ここらへんで。。。

次回以降、レンブラントの続編、カラヴァッジョなど、今なお人気の画家について、紹介していきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

<画像の参照元は、Wikimedia commons>




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