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「書けないこと」が辛かった自分へ



文章は苦手だ。
いつも私を、悩ませる。

頭の中では伝えたい事があっても

伝えたい想いとは違う反応が返ってきて、

そんな事を伝えたかったんじゃないのに...

なんて、感情になる。


少しのメールの返信でさえ、フリーズ。

小学校の読書感想文や作文コンクール。
書く文章は支離滅裂。

何書いていいかわからなくなる。
『原稿用紙3枚書きなさい』と言われた時は、よく同じ言葉や平仮名で、字数かせぎしていた。

そのまま文章のしがらみと共に、中・高・大まで上がっていく。
社会人になるとそんな事から逃げる事もできずメールの嵐。

いつしか書くことが苦になった。


「書かなきゃ...」


何に追われているわけでもないその焦りが嫌だった。


本当につい最近だが、ある本に出会い気持ちが変わった。

自分の気持ちが変わるのなんて単純だ。

以前の「note」初めまして。で紹介した
古賀史健さんの著書『20歳の自分に受けさせたい文章講義』

文章が「苦」だと思っていた逃げ腰の私の考え方を変えてくれた。

個人的に文中で印象に残っている言葉。

文章とは「翻訳」することだ。なぜ「話せるのに書けない」のか?書こうとするから書けないのだ。誰かに何かを伝えたい、繋がりたいと思うからこそ、「翻訳」するのだし、しなければならない。

人は解を得るために書くのだし、
解がわからないから書くのだ。
つまり「考えるために書きなさい」

誰に伝えたいのか。自分はどんな人間なのか。自分はどこにいて、何を思い、何を大切にしているのか。その思いを誰に伝えたいのか。そのグルグルを晴らすために書くのだ。


どの言葉がどの文が突き刺さったのかは分からない。
けれど、文章を書くことが辛い事だと思っていることが、勿体ないとも思った。
グダグダ言う前に書こう。


✳︎✳︎

全く関係ない話だが、

以前、きっと彼の名前を言えば、皆知っているであろう有名なライターさんがセミナーで言っていた。

「みんなライターになりたい。どうしたらいいですか?なんて質問ばっかり言って、本当に文章を書いてる人はいない。」


とあるエンジニアさんも言っていた。

「起業したいです!どうしたらいいですか?」それなら、人脈の1つでも作れ。


とあるイラストレーターさんも言っていた。

「イラストレーターなりたいです!どうすればあなたみたいなイラストが描けますか?」1日1枚でもいい。描きなさい。


「何かをしたい。なりたいて思ってる人」はすでに動いている。
何か事を為している人たちは口を揃えて言ってる気がする。

止めているのは自分だし。
動けてないのは、自分の問題だ。

入り口で止まるのはそろそろやめよう。

何をしたいか分からなくてもいいじゃないか。少しでも気になるのであれば少しでもやってみればいいんじゃないのかな。なんてことを思った夜。

✳︎✳︎

「いい文章」を書くのに、文才など全く必要ない。「いい文章」とは「読者の心を動かし、その行動までも動かすような文章」読書を動かしてこそいい文章である。

自分のための文章。
たとえそれが自分のためだとしても、
それは昔の自分なのかもしれないし。
昔の自分を動かした文章になれればいいなと。

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