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4-1 東京教育大学とは

 今回から暫く、今は亡き東京教育大学について述べていきます。

 因みに、イメージ写真の大塚は豊島区ですが、大塚自体が文京区から豊島区にかけての地名なので、あえて使わせていただきました。(笑)

1.前史

 東京教育大学の母胎となった学校について説明します。

 「東京高等師範学校」は、当時の中等教育機関であった師範学校、旧制中学校等の教員を養成する事を目的とした、国立の高等教育機関でした。実体的には師範学校の上に立つ師範学校教員の養成学校、所謂キングオブ師範学校です。

 その後、高等師範学校が旧制の専門学校程度とされていた為、その教育を旧制大学レベルまで高度化させる為に作られたのが、「東京文理科大学」です。この大学は、教育に関する最高の研究教育機関とされ、主に東京高等師範学校卒業者を受け入れました。

  「東京農業教育専門学校」は中等教育機関の旧制農業学校への教員養成を目的とした旧制専門学校で、東京帝国大学農学部の附属農業教員養成所が独立したものです。今の都立駒場公園の所にあったそうです。因みに、東京大学などの上位大学に大量に合格者を出す事で有名な、筑波大学附属駒場中学校・高等学校はこの専門学校の附属学校を起源としています。

 「東京体育専門学校」は国立体育研究所を母体に、戦時中に体育指導をする教員の養成を目的として設立された旧制専門学校です。しかし、卒業生が出る頃には終戦を迎えたので、卒業生が少ないこともあって、あまり実態のはっきりしない学校です。

2.大学設立

 上記の「東京高等師範学校」、「東京文理科大学」、「東京農業教育専門学校」、「東京体育専門学校」の4校が、教員養成という目的で結び付いて新制「東京教育大学」が設立され、本部は文京区の大塚に置かれました。ただ、この時に同じ都内にあった4校の師範学校が、教員養成を行っているにもかかわらず含まれなかったのには疑問が残ります。東京都はGHQの1県1大学に統合する原則の適用除外になったので、それぞれの学校が独立して新制大学となる傾向が強かった結果だとは思いますが、広島県は1県1大学の原則のもとに、高等師範学校も師範学校も同じ新制大学の中に入ったのとは対照的です。

 学部の構成は以下の通りです。なお、東京教育大学学則(昭和38年度)によります。

前略                                第2条 本学に次の学部及び学科を置く                 文学部 哲学科、史学科、文学科、社会科学科                          教育学部 教育学科、心理学科、特殊教育学科、芸術学科          理学部 数学科、応用数理学科、物理学科、化学科、生物学科、地学科                          農学部 農学科、農業化学科、農業工学科、林学科、農村経済学科、総合農学科                                 体育学部 体育学科、健康学科                    後略

出典:東京教育大学学則(昭和38年度)   http://tue.news.coocan.jp/upu/gakusoku.pdf

 名前は東京教育大学ですが、実際は様々な学部のある総合大学であったのが実態です。ただ、全体的に規模が小さく、尚且つキャンパスが散らばっているタコ足大学の弱みがあって、移転してキャンパス統合するのが悲願だった様です。

 そんな移転の計画を検討している時期に、政府が筑波研究学園都市構想を閣議了解して、核となる大学の候補探しを始めました。これが東京教育大学にとっての悲劇の始まりでした。

次回は













  



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