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北海道大学教養課程の試行錯誤 前編

旧制高等学校から新制大学教養部へ

 戦後国立大学が出来た時点で、旧制帝国大学と合併した旧制高等学校は、そのまま大学4年間の前期2年間を担当する教養課程となりました。例外として、教養学部として、前期2年間に加えて後期2年間も担当する学部になった東京大学があります。

旧制予科が一度解体された北海道大学

 北海道大学の場合は、旧制予科を元々持っていたので、スムーズに移行したのかと思われますが、そうでもなかったようです。

 大学の史料を見ると、教養課程という担当部に教員が所属するという他の大学の方法とは違い、専門課程の学部に教養課程を担当する教員が分かれて所属する方法を取った為に、旧制予科は解体されています。

 この時に、所属する学部の専門課程の教員と同様の業績を、教養課程を担当する教員にも求めました。それに抗議して、旧制予科の教員の一部に辞職する動きがありました。他にも、旧制予科の利用していた校舎を新設した文系学部に流用されたりと、大学の付属機関だった故に発言権が弱く、戦後の混乱期に振り回されてしまった様です。

全学教育体制の理想と現実

 教養教育の考え方としては、特定の学部以外は、東京大学の様に前期の2年間は専門を完全に特定せずに、後期に進学する段階で学部を決定するという方式を近年まで取っていました。また、教養課程に教員を固定して所属させずに、学部に分かれて所属させるという方式も、当時としては特徴的でした。

 どちらも新制大学に移行する段階での理想が高かった為に、行われた方式だと思われます。実際、学部に分かれて所属する事により、教員として採用された初期に教養課程を担当し、その後に専門課程の担当に教員が移行する流れを作った学部や、教養と専門を同時に担当する教員がいる学部など、他の旧制帝国大学から新制総合大学になった大学よりも、先進的な動きもありました。

 その点では、東京大学教養学部に続く、高い理想を具現化しようとしたのが北海道大学かと思われます。ただ、現実的には、そううまく行かなかったようです。

 同じ学部の中に、講座制という旧制大学由来の研究教育を主体とした、教授を頂点としたピラミッド型に教員が配置される制度と、学科目制という、教育を主体とした、教育担当の教員が個別に配置される制度が、同じ学部内にある事による様々な葛藤があったようです。この理想とは裏腹の制度の問題点は、その後の、大学設置基準の大綱化で講座制と学科目制などの区分が大学の裁量に任せられるまで、長く続くことなります。教養課程の全学教育体制の発想自体は、新制大学における見識のひとつとしては特徴的であったのですが、先進過ぎました。次回はその経過と現在の状況について述べます。

次回は







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