死によるパラダイム・シフト

こんにちは!蛸龍です!

悲しくて暗いイメージが付き纏い、決して逃れることのできない「死」。
そんな重苦しい死ですが、歴史において死の犠牲こそが新たな発見や価値観の転換に繋がることがあったようです。

本日はそんな死による人類発展の逸話についてご紹介しようと思います。

科学における世代交代

科学の世界において、高名な学者や偉人の死は「知識を失うこと」に目が行きそうですが、次に紹介する言葉の通り、「死による発展」というのは科学界では重要なことのようです。

二十世紀最大の物理学者の一人であるマックス・プランクはこう述べた。「重要な科学上の革新が、対立する陣営の意見を変えさせることで徐々に達成されるのは稀である。サウロがパウロになる(訳注キリスト教徒迫害者サウロは奇跡的回心を遂げ、使徒パウロとなった)ようなことがそうそうあるわけではないのだ。現実に起こることは、対立する人々がしだいに死に絶え、成長しつつある次の世代が初めから新しい考え方に習熟することである
サイモン・シン. 宇宙創成(上)(新潮文庫) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1132-1137). Kindle 版.

新たな理論や考え方が生み出されたとき、正しさが証明されればすぐに受け入れられそうですが、やはりそこは人の世。
古い理論を捨てきれない前世代の保守的な科学者達を納得させるというのは、想像以上に難しいもののようです。

どんな科学者も自説を正しいと信じて生涯を掛けて研究してきたわけですから、自身の集大成とも言える理論が自分より若い世代にあっさりと論破される、というのは中々受け入れがたいことなのでしょうね。

このように科学界では、前世代の死が新たな理論が受け入れられるきっかけになるというのがあることのようです

ティコのデータを受け継いだケプラー

では実際にあった、死による発展を思わせる話として、近世ヨーロッパの宇宙論に関する逸話をご紹介致します。

今でこそ地動説(地球が太陽の周りを公転する)が事実として認識されておりますが、観測技術の欠落や宗教観から、昔は天動説(地球の周りを天体が公転する)が主流でした。
※人間が存在する地球こそが宇宙の中心である、という考え方が当時の宗教観にバッチリ合っていたようです

そんな中、地動説を固く信じていた天文学者:ティコ・ブラーエは、類まれなる観測能力の高さを発揮し、天体の動きに関する素晴らしい観測データを大量に収集します。
貴族の出身で欲深いティコは、観測の成果を誰にも渡そうとはせず、田舎者の助手:ヨハネス・ケプラーにも決して自身のデータを見せることはありませんでした。

しかし、ケプラーはティコが死亡したことをきっかけに、その秀逸な観測データの数々を自由に扱えるようになります。
ケプラーは生まれながらにて目が悪く、自ら天体観測することはほとんど不可能でしたが、ティコが残した偉大なる観測データを基に根気強く計算を重ねることで、地動説理論に確立に成功するのです。

ティコの綿密な観測データは、ケプラーがしっかりと実を結ばせることになるからだ。それどころか、ティコの仕事が花開くためには、彼自身は死ななければならなかったと言えなくもない。なぜならティコは存命中、あらゆる記録類を注意深くしまい込んで誰にも見せず、自分一人の代表作として発表することを夢見ていたからだ。ティコがケプラーを対等な共同研究者として認めることはありえなかったろう──なんといってもティコはデンマークの貴族なのに対し、ケプラーはただの田舎者だったのだから。
サイモン・シン. 宇宙創成(上)(新潮文庫) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.802-806). Kindle 版.

欲深く貴族生まれだったティコが、田舎生まれのケプラーと共に共同研究する、というのは考えにくいですから、まさに死によって新たな発見が促されたこのドラマチックな逸話は筆者が好む逸話の代表です!

ペストによる宗教観の変化

近世ヨーロッパの時代では、キリスト教こそが絶対的な真理を語るものとして崇められ、聖書の内容こそがこの世の真理だとされていました。

その時代において、キリスト教の教えに背くことは死罪に値し、科学の発展にとって大きな障害となることも度々あったようです。
(前述した地動説もキリスト教の教えに背くため、のちに地動説を裏付けるより精密な観測を行ったガリレオ・ガリレイは、異端審問に掛けられています)

そんな中正ヨーロッパにおいて、1350年頃に黒死病とも言われる感染症「ペスト」が大流行しました。
キリスト教一強時代であった当時のヨーロッパでは、神に祈りを捧げればペストは収まると信じられ、来る日も来る日も司祭たちは天に祈りを捧げてたようですが、当然祈るだけでは病は収まらず、結果的に当時のヨーロッパ人口の約3割の人々が不幸にも命を落とす結果となりました。

当時の世論こそ分かりませんが、慈悲深い神に祈りさえすれば、救いの手が差し伸べられると信じられていた人々にとって、祈りが一切通じず、目の前で次々に家族や友人が次々に倒れていく様子は衝撃的だったことでしょう。
宗教の無力さ、無意味さが身にしみ、後のルネサンス運動の引き金となった原因であるとも言われております。

当時の宗教は科学や政治に著しく悪影響を及ぼしていましたそうですから、科学と宗教が切り離されるきっかけになったというのは、のちの人類史に絶大な影響を与えた事件だと思います。

屍を超えていけ!

さて、少しだけですが、人類の死にまつわる逸話を紹介してまいりました。

繰り返しになりますが、人類にとって避けることのできない「死」の訪れはひどい悲しみをもたらします。ですが、人類全体においてはある人物の死が後の世の中に大きな発展をもたらすことは少なくありません。

ただ嘆き悲しむだけでなく、先人たちの屍を超えてより一層発展することこそが、今を生きる現代人、そしてこれからを生きる全人類の使命ではないかと感じます。

他にも紹介したい逸話や小説も多くありますので、また次の機会にご紹介できればと思います。

ではまた!


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