大阪

何故だったかは覚えていないが、いつか大阪に行きたいと5年前から思っていた。お笑いにハマった今なら大阪の劇場に見に行くという理由があるが、当時はまだ好きでなかったから違うのだ。flumpoolを聞くことが好きでアーティストのルーツを探ってみたいという理由も大阪に行きたいと思った後にflumpoolにハマったから違う。今思えばただただ新しい体験が欲しかったからかもしれないからなのかもしれない。思えばこれまで沖縄を除けば行ったことある一番西の場所は修学旅行で行った奈良・京都であったのだ。奈良で班別行動した時に大和西大寺まで乗った電車の行き先が「難波」でこのまま終点まで乗っていたかったことは今でも覚えている。埼玉に住んでいて大都会な東京に行くことは多々あったが、大阪へのあこがれは無意識にあったのだと思う。

 行きたいと思い始めてからはバスやホテルを調べるなど行けるわけではないのに一気に計画が立てられていったのだ。だが行くには高校受験終了後しかなかったのだ。しかもバイトができない中学生はお年玉と合格祝いを兼ね合わせてやっと行けるほどの費用が掛かることもわかったので素直にあきらめた。そこから高校在学中何回も長期休みがあったが、バイトを始めて金銭感覚が狂った自分には大阪に行く費用を貯金しておけるほどやりくりがうまくなかった。そして高校三年生になり、受験勉強でバイトを続けられないほど忙しくなって大阪へ行く希望はさらに遠くなったように感じた。しかしすぐには気づかなかったがチャンスでもあった。お年玉を使う最後のチャンスである。そこでこれまで貯めていたお年玉を合格したら大阪行くのに使わせてくれと親に頼んだらOKがでた。そこで一筋の希望が見えた。そこから勉強のモチベーションが高まって(言うてそこまでだけど)、結果として大学に合格ができた。決まったのは少しばかり遅かった。前期に合格することを理想としていたが何処も合格という文字はなかった。しかし補欠合格というわずかな希望が見えた。受けようとすれば中期を受けることができたが、もう勉強するモチベーションが無いし、浪人できない環境から実質繰り上がり合格か専門学校のどちらかに絞られていた。人生もかかっていたし大阪に行けるかもかかっていた。そして繰り上がり合格の電話の日が来た。決められた連絡時間のギリギリに電話が来た。その日にるるぶを買った。これで4年越しの大阪に行けると思うとうれしくて仕方がなかった。ホテルもバスも飛ぶ鳥を落とす勢いで決まった。やっと行けると思うとうれしさを超えて夢だと思うくらいの気持ちになっていた。しかしその状態は長くは続かなかった。コロナが牙をむき始め、小中学校が休校になったのだ。そこで自粛ムードが高まり大阪で行きたかった施設が軒並み休館してしまったのだ。大げさだと言われても仕方がないのだが、神様はここまで私を大阪に行かせたくないのかと思った。そして今に至り、コロナはまだ猛威を振るっている。私はいつになったら大阪に行けるのだろうかと1年前に買ったるるぶを見ながら感傷に浸っている。

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