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子供のメモリの遣い道「車輪の下で」

読んだ最初の感想としては、出来れば10代のうちに読んでおきたかった本でした。
荒々しかったり、瑞々しかったり、こういう作者の怨念が文章に乗り移ったみたいな激情の書物には、同じく激情の時を生きている思春期真っ盛りの人間にしか感じ取れないものがあります。
それが本当に羨ましく感じるとともに、もし思春期の人がいれば騙されたと思ってでも読んでもらいたいです。
個人的には太宰治の「人間失格」と並んで10代の人に読んで欲しい本の筆頭格です。

あらすじ引用

周囲の期待を一身に背負い猛勉強の末、神学校に合格したハンス。しかし、厳しい学校生活になじめず、次第に学業からも落ちこぼれていく。そして、友人のハイルナーが退校させられると、とうとうハンスは神経を病んでしまうのだった。療養のため故郷に戻り、そこで機械工として新たな人生を始めるが……。地方出身の優等生が、思春期の孤独と苦しみの果てに破滅へと至る姿を描いたヘッセの自伝的物語。

10代の人が読むべき理由

先ほど僕はこの本のことを、作者の怨念が文章に乗り移ったみたいな激情の書物と言い表しました。
これは端的に言えば自伝的な小説であるということです。

「人間失格」を引き合いに出しましたが、あれは太宰治の半生をそのまま切り取ったみたいな場面がいくつもありますね。
「車輪の下で」も同様で、作者の生い立ちはこの本のあらすじとだいたい似通ってます。

では、なぜこの自伝的小説が思春期に突き刺さるものなのか。
それは自伝的小説にこそ作者の思想が色濃く反映されるからです。

ここで例として作品内の一部、子供たちが全寮制の学校に入学した際の第三者視点としての文章を引用します。

感じやすい若者の心を美しさや安らぎで取り囲むことができるように、政府は愛情に満ちた配慮で、世間から隔絶し、

やたら句読点が多いです。
この皮肉みたいな文章を読んだだけでも、作者ヘッセの学校教育に対する「これおかしくない?」みたいな思想が垣間見えます。

そしてこの思想は、現状に思い悩んでいる10代の人にこそ伝わって欲しいのです。

そもそも現代の学校教育なんて欠陥だらけなので、何かおかしいと思ったならその気持ちを絶対に忘れないでもらいたいです。

義務教育過程で個性を潰しにきたくせに、就職試験になると途端に個性を求められるのは明らかに矛盾しています。
詰め込み教育はどう考えても悪手です。日本三大随筆がなにかとかは別に知らなくていいと思います。ちなみに方丈記は面白かったです。

こんな感じで、思春期の人であればもっと思うことがあるでしょうから、ぜひこの本の思想に傾倒して、一度取り上げられた個性を今のうちに大人から取り返して欲しいものです。
大人のおかしさを咎められるのは子供だけであって、むしろ子供でなければ見逃してしまうものなのかもしれません。

神童の捉え方

この本の主人公ハンスは、言うなれば神童と呼ぶべき少年です。

しかし神童とは決して良いことばかりではなく、歳を重ねるにつれて意外と相応の人間に収まっていることが多々あります。
そしてそれだけでなく、この物語のようにみるみるうち転がり落ちていくような例も少なくありません。

これに関して僕個人としては、もしかすると人は神童に対して誤った解釈をしているのではないかという思いに至りました。
ということでかなり私見ですが、僕から見た神童を分かりやすくApple製品に例えてお話します。

神童とは、初代iPhoneにM1チップを搭載したようなものである。

もうちょっと具体的に言います。
iPhoneの容量をその人の器量として、チップの性能をその人が生まれ持った才覚と仮定します。
神童であるがゆえ、とんでもない性能のチップが子供離れした頭の回転を発揮するのですが、それを受け止める器量の方が全く育ってないのですぐにオーバーヒートを起こす、みたいなことです。

ここでいうチップは才覚によるものですが、容量に関しては歳を経るごとに大きくなっていくものです。
この辺りはプラトンのイデア論とアリストテレスの経験論みたいな関係性になるのでちょっと面白いですね。

要するに、才覚の発揮は器量が大きくなる速度に比例しなければいけない、ということです。
そしてその器量は、自分の力で勝ち取った経験則によって大きくなります。
よって器量は年齢に大きく関係してくるのです。

風姿花伝でも年齢相応の稽古をするべきであると説いており、7歳頃から少しずつ体験させて、身体の出来上がる24,5歳頃が稽古における肝心要であるとしています。

教育にしてもなんにしても、だいたいこれくらいが最適のように思えます。

最終的にここでも学校教育批判になってしまいました。
すいません。
でもヘッセがそう言ってるので。

神童のあり方

最後に神童のあり方についてです。

大前提として、どんな人間にも自由の権利があります。
また神童とは特定のジャンルにおいて突出した才覚を発揮する人のことであって、それが目に見えてないだけで実は自分も何かの神童だったかもしれない、みたいなこともあるでしょう。

この辺りの話をするとまた教育批判になりますが、大人がとやかく言うことではないのは確かですね。

僕も昔は五七五の標語が結構得意で、友達からの評判もお世辞抜きに良いものばかりだったのですが、なぜかその先生のお眼鏡にはかなわなかったみたいで、優秀作の一つにも選ばれませんでした。
あのときの標語作りがもし序列をつけるものでなければ、今頃自分は詩人を志していた可能性だってあったと思います。
今はないです。

こういう話をすると本当にキリがなくなってしまうので、とりあえずここから先はHUNTER×HUNTERのキメラアント編を読んでください。
あそこにあるべき姿が全て描かれてあるので。

感想

読んでいて楽しい本でした。
最初にこの本を荒々しいと表現しましたが、荒々しいのは隙間から垣間見える思想のことであって、文章自体は詩的で美しいものです。
日本ではこの本が圧倒的な人気を誇っているらしく、その実情も踏まえるとまあそうなるよな、と言うのが個人的な感想です。
作者もドイツ生まれの人で、ドイツ人は日本寄りの勤勉な人が多い印象です。
なのでドイツ人に好まれるのも理解できますし、それが直接的に日本人も読むべき理由につながると思います。
別に自分は神童ではないですが、神童が転がり落ちた場合どうなるのかという別世界の話を作者本人が原体験をもとに小説にしてくれているので、そういう体験談に感情移入する良いきっかけになりました。

あと最近HUNTER×HUNTERを読んだのでところところで影響を受けてます。超面白いのでおすすめです。

以上です。

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