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孤独であり続けることの真価「嫌われた監督」

僕は子供の頃から中日ファンであり、しかも昔の強かった頃の中日ファンであったため、この本はそんな思い出の断片を隙間なく埋めてくれるものでした。
もし同じような境遇の人がいるなら、ぜひこの本を手に取ってもらいたいです。
なぜこの頃の中日が好きだったのか、そういう曖昧な思い出に対してケリをつけることが出来ると思います。

著者

この本の著者は鈴木忠平さんという人で、プロ野球担当記者として落合政権の八年間をずっと側で見続けていた人です。
年齢的には福留、荒木と同い年。文章から察するに、当時の選手や球団関係者、そして落合自身からも相当の信頼が置かれていたものと思われます。

構成

この本は全十二章から構成されていて、一章では2004年に開幕投手を務めた川崎憲次郎を、二章では立浪からレギュラーを奪い取ることになる森野をといったふうに、各年代で特筆すべき選手を軸にして選手、筆者、球団関係者のそれぞれの視点から、年代順に物語が描かれています。

ここからも察することができるように、視点を複数に散りばめるにはそれぞれの言質が必要になるため、それだけ筆者が関係者への信頼を得ていたという証拠になると思います。

考察

この本には至るところに落合という人物を測る視点が用意されているのですが、僕が思うに落合の指導者としての本質はこの発言に凝縮されると思います。

「俺は選手の動きを一枚の絵にするんだ。毎日、同じ場所から眺めていると頭や手や足が最初にあったところからズレていることが分かる。そうしたら、その選手の動きはおかしいってことなんだ」

これは2011年の優勝間近、そして落合の退任が決まっていたときの発言です。

落合といえば、ホームベースに最も近いベンチの端っこに腕を組んで鎮座しながら、ただじっと戦況を眺めていたのが印象的だと思いますが、この発言からその本質が見て取れました。

続けること、それが人を成長させる最も合理的な手段だということです。

落合の数あるエピソードで有名なものは、選手が失神するまで何時間もノックを打ち続けるというものであったり、信頼を置いた選手に対しては怪我も構いなしに試合に出し続けるといったものがあります。

一見すると冷徹な人間のように思えますが、その本質を紐解いていくと、続けることこそが最も合理的だという当たり前の事実に帰着します。
それが少々行き過ぎている面もありますが、それでもその当たり前の事実に対して、落合はただひたすらに向き合い続けたのだと思います。

「やり続けていればいつかは成功するよ、だって辞めてないんだから」というこの言葉がたくさんの人に浸透して久しいですが、それでも我々一般人には耳を塞ぎたくなるような正論でもあります。

結果が出ない中でもやり続けなければならない状況は、はっきり言って地獄です。それでも弱肉強食のプロ野球の世界では、それをしなければ生きていけないということなのでしょう。
胃の腑に落ちる思いです。

ただこういう論理を展開した際には「野球は九人でやるスポーツなのだから、全員で力を合わせればなんとかなるじゃない」という別視点からの意見が聞こえてきそうです。
これに関してある種そうなのですが、それをプロ野球という枠組の中で考えた場合は少し違うと思います。

人は一人では生きていけないのだから、という思いから連帯感を強め、一人では考えられなかったような成果を上げることもあると思います。

しかしそれらが生み出すものは最大瞬間風速であって、永久機関を生み出すことはありません。

要するに、高校野球のように一試合で全てが決まるような状況であれば「野球は九人で」の理論が通用しますが、プロ野球のように一年、十年というスパンで価値が決まる世界においては長続きしません。

逆に個人としての強さのみを磨いていた場合、最大瞬間風速を起こすことはなくとも、ずっと価値ある存在で居続けることができます。

結果を出し続けるためには、どこかで孤独と折り合いをつける必要があると思います。
なぜなら、孤独こそが考えることの真価を発揮するからです。

おそらく落合は現役時代からこのことに気がついており、監督となってもその信条を曲げることなく選手にもそれを強いたのでしょう。

この本にも描かれていますが、落合は現役時代に星野監督と諍いを起こしています。
ここまで考えた上でその事件と照らし合わせたら、諍いを起こして当たり前とさえ思えてしまいます。

集団を重んじる星野監督と、個を尊重する落合と、両者には完全なる隔たりがあるため、ぶつかり合うのも必然でしょう。

傍目には星野監督の情熱が美しく思えてしまいますが、選手の立場に立った場合、果たしてどちらが監督として優れているかは判断がつきませんね。

感想

僕は正直今の中日はあまり好きではありません。 
それでも他球団に浮気をすることは今の所考えてないので、この先もファンでは居続けるのでしょうけど、どうして今の中日を昔ほど好きになれないのか、それがこの本を読んでようやく分かりました。
おそらく僕は子供心に「勝ち続けることの正義」というものに惹かれたのだと思います。
僕は出身地のせいか、周りには巨人ファンと阪神ファンしかおらず、全く関係ない愛知の球団は常に敵対視されていました。それぞれが熱を持って各球団のスター選手を応援している中、左のワンポイントの熱烈なファンであった自分はその時だけ異端児のように扱われていました。
しかしそんな状況でも、敵に対して必要以上の点を与えず、ケロッと勝利を掴む中日の姿、そして悔しそうな表情をしていた他球団ファンの同級生それぞれの対比が面白くて仕方ありませんでした。
僕はその時、子供ながらに「勝つことで証明できるんだ」と思ったことを覚えています。
それから大人になって、そういう危なっかしい思想は取り除かれて、どちらかといえば競争社会に辟易し始めているのですが、中日に対してだけは昔の思い出が尾を引いてしまいます。
これはもう思い出話の延長でしかないので、それを押し付けるのも迷惑な話ですが、それでも僕は勝ってる中日が好きですね。
これからも応援を続けることの対価として、僕は中日には勝利を望みたいと思います。
ちなみに僕自身は勝つのも負けるのも好きじゃないです。

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