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人を好きになると哀しい

30年経っても、素敵な文章は色褪せないのだなと思った。

江國香織さんの『綿菓子』はこれまでいったいどれだけの人々に読まれてきたのだろう。

初版発行は、わたしが生まれるよりも5年前のことらしい。


12歳の主人公が少女から女性へと変わる一歩を踏み出していくところを見届けたような気分。背伸びしているように見えるところも含めてとっても愛おしかった。

可愛らしくもあり、鋭さも持つ主人公のみのりは、祖父母、両親、姉夫婦、姉の元彼氏、ともだちの親なんかを見て、恋についての考え方を微細に変化させていく。

そして、ついに自分自身の恋。
なんだ、やっぱりその人に恋するのね、無垢な少女ね。なんて思ってしまったよ。
他人の恋愛を見て、あーだこーだと考えていたみのりはこれからどんな恋愛をしていくのだろう。

理想通りにいくのかな?それとも、どこか妥協しながらも結局は満足できるのかな?
どちらにしても、相手から大切にされて、幸せになってほしいな。
そんな風に想像を膨らませてしまった。


今年25歳のわたしだけど、12歳のみのりのこと、結局少女よね。なんて子ども扱い出来る立場ではない。

そもそも、子どもだけど、子どもじゃないよね、12,3歳の女の子は。お年頃がわからない大人たちに子ども扱いされたら、ウザいよね。
とはいえ10年前のわたしは、みのりや、友だちのみほほどませてなかった気もするけど。
みのりには少し歳の離れたお姉さんがいて、みほは離婚する両親を見て何か思うことがあったからなのかな。



わたしもみのりみたいに、他人の恋愛や結婚を見て、あーだこーだと考えているし、身の回りの夫婦を見て、たとえ2人が幸せそうでも「わたしは結婚しないかもしれない」と思ってる。
みのりが、そんな恋愛をしないと決めていたような、矛盾のある恋愛をしそうになって、それは嫌だと踏みとどまったこともある。

逆に、みのりは、男も女もみんな、「人を好きになると哀しい」と知ったけど、わたしは未だにそこまでは気づけていない。

自分が誰かを好きになって哀しいと思ったことはあっても、みんなそうだということまでは知らない。
みんなもそうかもしれない。とは思うけど。
みのりも、そうかもしれない。レベルな気もするけど。

これからわたしは、誰かを好きになって、失敗したり、哀しくなったりすることはあるのかな。

そんなの、未来のわたしがみたら、いや全然あるよ。って言いそうだけど。
というか言いたい。



それから、お話に登場する食べものや飲みものが、どれも温度感を持って伝わってくるのが印象的だった。

縁日の綿菓子、涼しげなみつ豆と中に入ったぎゅうひ、お父さんが買ってくるひんやり甘いメロン、違和感のあるお豆腐尽くし、冷めた肉まんに、口移しのコーヒー。


読んでいる時は、甘酸っぱいベリー入りのパウンドケーキを、ほろ苦いカフェオレと一緒に飲み込んでいるような気持ちだった。

だけど、もう少しわたしの精神年齢が上がったら、綿菓子みたいにシュワシュワ溶けていくような甘くて淡いお話だなと思うのかもしれない。

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