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底は0地点

今まで生きてきて、
辛いことはたくさんあったけど、
もう人生終わった…と思ったことは、実は無い。

ダメかもしれないという、"かも"で止まることが多い。
どうしてかは分からないけど。

人生において、絶対〇〇はない気がする。


体調を崩した時、何にもできなくなった。
だけど、ルーズにはなりたくなかった。
できる範囲で日常を過ごしたかった。

毎日、起きて顔を洗い、着替えをし…
化粧ができるなら化粧をし、
居間で横になり、
一日が過ぎるのを目を瞑って過ごしていた。

何ができる訳ではなかったけど、
少しでも今できることはやりたかった。

車の運転ができなくなった事で、
免許を返納しなければいけないかな…とか、
気分の悪さ、息苦しさがずっと消えなくて、
外で仕事をする事は難しいかもしれないな‥とか、
片親の次男を育てていく資金、生活はどうしたらいいかな…とか…

今のわたしの状態から、
今後起こりうるかもしれない出来事を、
ただぼーっと眺めるように考えていた。

今はどうすることもできない、
けれど、時間が解決してくれることもある。
その時に、何ができるのか…。


人生終わった訳ではないのは分かっていた。
ただ、急に底に落とされた感覚にはなっていた。

今まで頑張ってきたけれど、
一度リセットされるような。

そこは0地点。

0地点なら、これ以上もう底はないとも思えた。
更に下(地下)へ行くには、自分で自分を追い詰めることで行くことはできるかもしれない。
それは地獄へ自ら行きたいと願えばそうなると思った。
ドリルで底に穴を開けてでも進んで行きたいと。


自らドリルで穴を開けて、地獄へ行く選択をするのか、
0地点から、階段を作って、光の見える場所へ登って行くのか。

決めるのは自分。
自分に選択権があった。

一人ぼーっと横になりながら、
時間がゆっくり流れているのを感じる。
忙しないあの頃は、もうここには無いのか…。
今日も鳥がさえずり、太陽がキラキラと居間を照らしている。
光が迎えにきてくれている。
光が手を差し伸べているようにも思えた。


可哀想な自分を、可哀想にしているのも自分。
可哀想な自分に、手を差し伸べてあげるのも自分。

そう思った時、わたしは自分に手を差し伸べて再び導いてあげようと思った。
長く時間はかかるかもしれない。
それでもいいと思った。

生まれた時、わたしは0地点にいたはず。
約40年後、0地点に再び戻ってしまった。
だけど、残りの人生がまだ40年ほどある。
以前と別の階段を作っていくのも面白いかもしれない…
そんな気持ちになった。

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