この世に「蜘蛛の糸」を垂らす文章を、書いてください。/書かないよりは、まし。28
「本を出すことが、夢なんです」
そう言われたとき、自分はどんな顔をしてるんだろう? 一度、手鏡でも出して確認したいところだが、さすがにやったことはない。でも、たぶん口は一文字になり、確実に目は死んでいるはずだ。
上記のツイートでほぼ言い尽くしているつもりだが、少し補足する。「本を出すことが夢」ーー、それ自体が悪いとは思わない。けれど、それ「だけ」だとやはり厳しい。
編集者を前にして、そう口にするということは、きっと書店でも売れるような、普通の本を出すことを夢見てるのだろう。だとしたら、人さまにお金をいただくということだ。
仮に1500円(まだ慣れないが、消費税10%で1650円か)の定価だとして、それと引き換えに、その本は読者に何をもたらすのか? そこは編集者が考えればいい、という話ではないと僕は思う。
その本(記事でもいいが)を読んだ人の世界の見え方が1ミリでも変わる、そんな前提をまず共有するところから、僕は仕事を始めたい。
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話は飛ぶ……けど、多分通じるところがある話だ。
先日、仕事で繋がりがある人と、表参道には似つかわしくない(でも一部の人に愛されている)大衆居酒屋で、一杯やっていた。
二人で飲むのは初めてで、だから、いろいろな発見があった。一番驚いたのは、その人が小説を書いているということだった。何かしらの賞に応募するその作品の結末の方向性を、彼女は決めかねていた。ざっくり言うと、その小説の最後に希望らしきものを残すか、残さないか。
小説の結末は作者が決めるべきだろうが、個人的な話を少しだけした。学生時代(それこそ、ここに書いた叔父に脅かされていたころ)の僕は、とにかく救いがないような物語が好きだった。
今となってはほとんど何を読んだか思い出せないけれど、それでも馳星周さんの「不夜城」シリーズを愛読していたことは覚えている。
ただ、歳を重ねるにつれ、少しずつ読むものの傾向が変わった。一番転機となったのは(少しネタバレになってしまうけど)、北村薫さんの『朝霧』に収められている、ある人物が口にしたこの言葉だ。
本当にいいものはね、やはり太陽の方を向いているんだと思うよ
上の定義に当てはまるものだけが「本当にいいもの」だとは思わないけれど、もう少し、違う読み心地がする作品もいいかなと考えるようになった。
そんな話をしたあと、不意に、芥川の「蜘蛛の糸」が頭に浮かんだ。
ちょっとこじつけになってしまうけど、今の僕だったら(小説であれ、小説以外であれ)、「この世に『蜘蛛の糸』を垂らす文章のほうがより好きかな」と伝えた。
それは何人がすがれるわからない、もしかしたらカンダタ一人でも登ることがやっとかもしれない、一筋の蜘蛛の糸。でも、その糸の存在を知っただけでも、人は少しだけ生きる希望がわく。
あくまで、今の僕は、そういう話のほうが好きだ(また時期が来れば変わるかもしれない)。彼女の書いた小説がどう結ばれるかはわからないけれど、「落ち着いたら読ませてね」と言って別れた。
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今じつは夏休み中で、それでも毎日のように担当記事はアップされている。一本一本ていねいに仕事をできていると言いはるほど、面の皮はあつくない。それでも、この世のどこかに「蜘蛛の糸」を垂らすような仕事を、これから、少しでも多くできたらと思う。
そんな視点で、最後に、最近の担当記事をいくつか紹介させてください。
一番下にリンクした、竹内謙礼さんとの仕事から、自分でも「蜘蛛の糸」を垂らせるようにと強く思うようになったのかもしれない。まあ、実際には、書き手の方が出す糸を、大事にほぐしていくのが、仕事ですがね。
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