全てに意味がある曲

 全く誤解を恐れずに言うと、楽器を弾くとか曲を作るなんてのは特殊技能の一つではあるけれども、相応に勉強したり覚悟を持てば誰でも出来る。勉強すれば誰でも運転免許や英検などの資格が取れるのと全く同じ。もっと言えば日常的に日本語を喋ったり読んだり、書いたり聞いたりするのとほとんど変わりないと思う。

 ただ、音楽っていうのは面白い物で、音が鳴っているだけ、曲を弾いているだけでは「伝わる演奏」とか「感動する曲」にはならない。言葉を覚えた上で、何を喋るのか、何を思うのか、何を伝えるのか、と同じ様に。音楽という道具を手に入れた上で、何を鳴らすのか。

 これまた誤解を恐れずに言うと、「ただ鳴っているだけ」という音楽は巷にたくさん溢れている様に思います。バンドにしても、ユニットにしても、「なぜこれである必要があるのか」が出せてない、というか。ギター弾けるから弾いてるだけ、ベース弾けるから弾いてるだけ、歌がうまいから歌ってるだけ、みたいな。

 でもたまーに、全ての楽器に意味がある、というか「全ての音に意味があると思える音楽」っていうのがあるんですよね。

 安藤裕子のサリーは、わたしの中の「完成度の高い音楽」の中の一つ。


 メロディや歌詞は当然の事ながら、オルガンの淡々としたコード弾き、ギターの極めてシンプルな単音とカッティング、ベースの歌うようなメロディとしても成立しそうなオブリガード、引き算で音を研ぎ澄ましたドラム。1秒1秒に意味があって、音楽としてのストーリーが明確でドラマティック。全てのパートのフレーズにちゃんと意味がある。レコーディングの録り音も凄くいいから、めちゃくちゃ音のバランスも良くてグルーヴィー。何度聞いてもため息が漏れるくらいに聞いていて気持ちがいい。


 今日は渋谷で安藤裕子さんの二十周年ワンマンライブを見に行ってきて、「音楽っていいなぁ」と心底思いました。わたしも、わたしの音を出せるようにならねば。


おわり


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